光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 「山崎弁栄上人の百回忌を終えて」

山本 サチ子

日時:5月11日(土)~13日(月)
会場:光明学園相模原高等学校
参加者:約300名(30名程名簿未記入者を含む)

「山崎弁栄上人の百回忌音楽法要並びにシンポジウム」は、三日間の日程で無事に終了することができました。「百回忌記念法要並びに法の集い」の講演では、土屋正道上人、藤本浄彦上人、長谷川匡俊上人、加藤神父、光明学園理事長の御挨拶、そして音楽法要では、増上寺の「八木台下導師ご垂示」を賜り、シンポジウムには若松英輔先生、藤田庄市先生、近藤伸介先生には進行役を務めて頂きました。三日目は「弁栄上人ゆかりの地と遺墨展めぐり」をいたしました。

〈関東支部の女性の役割〉

私達は数年前からこの百回忌を開催するために、百回忌企画実行委員会を立ち上げ会合を開いていたことを側で見ておりました。光明園の例会の時や関東支部の役員会でも志村氏から途中の経過報告がありました。そして皆様の意見などを頂戴して企画本部に報告して頂くこと等の経緯がありました。会場についてはやはり山崎弁栄上人が創設なされた光明学園相模原高等学校での開催が一番よいのではとの意見が反映され、主催会場が決定されました。本当にありがたく思っています。

山崎弁栄上人の九十回忌の時は京都の「大本山知恩寺」で開催されました。私は仕事と家庭の事情で参加することが叶いませんでした。当時、九十回忌「ひかり誌」の報告文を読みながら自分は「百回忌の時は退職している。その時は参列しよう」と意志を固めたことが昨日の事の様です。それがこの度、百回忌に参加でき嬉しく思います。十年前の「ひかり誌」はサイズも小さく白黒の写真と文面でした。現在のカラー版誌を見ると十年という歴史を感じます。

〈女性の裏方の仕事〉

関東支部の女性として何ができるかを皆で話し合い、行事遂行のためには裏方の仕事が重要であると考え、先ずは役割分担表を作成しました。

①受付業務担当(名簿の記入及び資料の配布) ②来賓等の接待 ③配布物の準備作業(受付資料配布物の準備袋詰めを含む)他に女性の催し物等、の意見もあったが裏方の仕事で手一杯であることが予想され裏方業務に徹底することにしました。

自分の役割は受付の他に来賓接待も入りました。学園内の部屋全体を把握する必要があり、アリーナや控室の図面とにらめっこ。学内全体を何度も歩き部屋の確認作業にあたりました。学校は広い。他の女性達も真剣そのものです。受付業務には九州地区の人達の活躍が大きかったと思います。光明会理事長をはじめ、各委員の皆様が夫々の業務につき協力し合うことができたことに大きな迫力を感じました。今後もこのような協力体制で行けば必ず光明会の発展があると確信しました。

〈ほっとしたひと時〉

シンポジウムは無事終了、その後、私はアリーナで河波定昌上人のお孫さんである矢野美紗子さんを若松英輔先生や藤本浄彦上人のお二人に紹介しました。それから若松英輔先生を六階にある弁栄上人の仏画展示室に案内しました。途中、矢野美紗子さんとの会話で若松英輔先生が彼女に「いやあ!河波先生のお孫さんかぁ、カエルの子はカエルだなぁ」と満面の笑顔でおっしゃったのです。お茶目な若松先生の一面に思わず笑いがこみあげてきました。美紗子さんは勤務先の話題などをして、若松先生、そして美紗子さん二人の屈託のない様子にほっとしました。そして私は藤本浄彦上人とも久方振りにお話しさせて頂き昔話し等もでき、何気ない中にも貴重な触れ合いの時間を持てたひと時となりました。また、光明学園相模原高校のパワー溢れた「和太鼓」演奏は皆様に大きな感動を与えました。                                

〈バス名所巡り〉

開催日、三日目はバス名所巡りに参加しました。バスは、医王寺 → 善光寺 → 回向院(遺墨展)→ 増上寺 → 観智院 の順に巡りました。五香善光寺は私が若い頃に初めて別時念仏についた寺です。その時の導師は、佐々木隆将上人でした。隆将上人のひたむきな法話や念仏する姿に感動した記憶が蘇りました。その由緒ある善光寺に着くと尼僧さんが寺の説明をなさっておりました。何十年振りに訪れた善光寺は昔とすっかり様変わりしてキラキラ輝き荘厳な雰囲気が漂っていました。私は尼僧の住職さんにかつて、河波定昌上人が膝の上に女の子を抱き、紙にカエルの絵を描いて「ほらカエルさんだよ」といっていた河波先生との触れ合いを伝えました。尼僧さんは「その女の子は私です。こんな話しが聞けて嬉しいです」と言い、懐かしそうな表情をされました。時間がタイムスリップした瞬間でした。次の回向院では遺墨展を拝見し、ただ、ただ感動でした。増上寺では若いお坊様から徳川家の菩提寺の案内と説明を受けました。バスは観智院へと向かい土屋住職様から手厚いもてなしを受けました。時間がもっとあればなあ・との思いでした。貴重な体験は紙面に語り尽くすことが出来ません。バスの旅はいずこもみな素晴らしく、もっと時間があればと思いました。この百回忌に九州や関西、関東、東北等、全国から御参列賜りましたことを大変嬉しく思います。

〈結び〉

私は山崎弁栄上人百回忌は個人的には成功であったと思っています。詳細な部分では意見もあるでしょう。しかし百回忌実行委員会を立ち上げて、各会所の会合で審議して、何度も研鑽してきた結果の賜物であると考えています。百回忌の大きな行事に合わせ「法の集い」、「行誡上人の遺墨」、等を合わせたイベントは大きな成果でした。光明会、讃仰会、眞正同盟、光明学園相模原高等学校、これらが協力しあい、同時に開催できましたことは素晴らしいことです。今後も協賛していけたなら、これこそが山崎弁栄上人の御教えに叶うことであると思います。

この百回忌を通してこれからも全国の光明会員の皆様が支え合い団結して弁栄上人の思いを実現させていくことが光明主義発展への道を握る「鍵」であるのではないでしょうか。今私は、この百回忌は聖者から送られた「明るい灯火」であったと思います。この百回忌で弁栄上人の「ひとつになりなさい」の声が聞こえる気がします。今こそこの灯が大きな光になれますように、全国の皆様ひとつの輪になろうではありませんか! 

最後になりましたが百回忌企画実行委員会の皆様、行事に御参列賜りました全国の皆様、そしてご浄財を賜りました皆様、誠にありがとうございました。深く御礼申し上げます。     

合掌

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