光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 「同級会」その二 級友の気付き

山本 サチ子

〈友人の疑問①〉

先の「ひかり誌10月号」で「同級会」の原稿を掲載させて頂きました。前回までの級友の相談は、自分の死後には本当に自分の両親に会えるのか?…と難しい疑問を問うてきたものでした。

「人は死んだら本当に自分の身内に会えるのか?どこへ行くのか。色々本も読んだが分からない。」でありました。上手い説明もできなかったので、どのように対応したらよいのか困り、私は「大南龍昇」先生に相談し、彼に阿弥陀経の「?会一処」のところをもう一度じっくり読むよう伝えたのでした。数日後、彼から電話がありました。これが本当ならよいのだが?…と、どこまでも彼の疑問は続くため私は思い切って「人生の帰趣」の購読を勧めました。

〈友人の疑問②〉

「『阿弥陀経図絵』の「七寶楼閣」には耐震の柱が描かれている。仏教はそもそもインドから入ってきたものなのに、なぜ日本の建築技術である耐震の技術、「斗?」、別名「枡組が描かれているのだろうか?」

彼からこのような質問がありました。私は「建築のことは知らないが、外国から入ってきたものでも少しずつ自国の方法が採り込まれると思う。仏像彫刻もやはり日本独自の表情になっている。アレクサンドロス大王の影響下にあった土地の仏像はギリシャ風のお顔立ちに描かれており、弁栄上人も日本建築の方法を取り入れて描かれたと思う。米粒名号においても独自の方法で書かれ、弁栄上人という方は普通の人間を超えたお方なのです…」と。

このような返事をしたのです。果たしてこの答弁でよかったのかも分かりませんが他に答えが見つかりませんでした。

光明主義を理解してもらうため、明日は彼に『礼拝儀』と『如来様のおつかい』…河波定昌著…を送ることにしよう。この先、まだまだ彼の疑問が続くことでしょう。私も勉強をしないと益々答えることが困難になっていくように思います。

数日前、その級友から私の携帯電話に、一本のショートメールが届きました。今回は、少しばかりその経緯を載せてみたいと思います。

〈友人からのショートメール〉

「本、少しだけ読みました。光明主義とは、念仏三昧をするのは、浄土宗よりも、空海や道元の思想に近い感じがした。」…と書かれてありました。

これは『人生の帰趣』を少しずつ読み始めた彼の現在の正直な感想であります。私は信仰の喜びをどうすれば彼に伝えられるのか考えてみました。正直に申し上げますと、何年も念仏を称えてきている私にも彼の追究する問題は解決できません。自分の不甲斐なさを感じました。認めて頂くためには、念仏を申してもらうしかありません。

かつて私が高校を卒業したばかりの頃、松戸の五香善光寺で、初めて別時につきました。別時は、足が痛くてびっくりでした。けれども善光寺の住職さまをはじめ、あの時の導師であられた佐々木隆将上人の熱い情熱の籠った法話は衝撃でした。世の中にこんなにも信念を持った生き方をされている人に初めて出会えた気持ちになり、それは嬉しくもあり驚きでもありました。その御姿を私は今でも忘れることができません。

それ以降も幸運なことに私は藤堂祐範上人、田中木叉上人、山本空外上人、三隅栄俊上人の尊い説法、そして河波定昌先生の御講義等に恵まれ、それらに魅了されていきました。

〈二度目のメール〉

彼からのメールが表示されました。「『人生の帰趣』の・・・」

「おぉ感想文だぁ!」と期待を込めてショートメールを開きました。すると、そこには、

「この所、本読んでない。カボチャひとつだけ送りました。良かったら食べてください。」
私は思わず爆笑してしまいました。

『人生の帰趣』はテーマが大きい。焦らないでもう少し待とう。カボチャを食べながら…。

〈結び〉

この先、友人の難解な質問はまだまだ続いていくことでしょう。けれども私はそれでいいと思っています。私自身も光明主義なるものをかじり、念仏をしてきたのではありますがそれでもふと、「このことはどうなのか?現実に合わないのでは」と疑問がおこることがあります。だからと言って念仏から離れることはできません。念仏は人生の心の杖・支えなのです。これからも彼の疑問を一緒に考え他の疑問を持つ人々と共に歩んで行くつもりです。

今、私は彼の質問は大変勝手な主観的な思いですが、実は如来さまが私を試しておられるような気持に至っています。共に一緒に考え、彼も読書だけでなく真の念仏者になれたらこんな嬉しいことはないと想像を巡らせています。このことが想像にとどまらず彼がいつか心から「念仏を喜べる人」に成長していけたらと願わずにはいられません。その日がくるまで日々精進。惜しまない努力を続けたい。

我はただ仏にいつかあふい草 

    仏のつまにかけぬひぞなき

法然上人のこのお歌を心に刻み、共に念仏が出来る日がくることを願います。彼はまだスタート台に着いたばかりです。念仏の灯を信じて明日に向かいたい。

合掌

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