光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 未来に向かって

山本サチ子

日々のコロナ禍の中で気のせいでしょうか。道行く人や行きずりの方達の表情がこわ張って見えます。肩で風を切って歩く人、いきなり走る人、うつむいて歩く人など様々です。鬱蒼とする気配の中でも私は保育園や幼稚園の幼児たちから毎日元気付けられています。園児たちは公園から園舎への帰り道、植木の手入れをしている私に通りすがりに大きな声で「こんにちは」と声を掛けてくれます。「こんにちは。おかえりなさい」とことばを交わすときは本当に心が和み、世界中がコロナ禍で大変なことも忘れさせてくれます。同時にこの子供たちの為にも、大人たちは住みよい未来を作る努力をしなければとの思いにかられます。

生活の中で

 昨今、世界中の人々がコロナ禍と闘っている。今私達は何をどうしていかなければならないのでしょうか。
 そんな壮大な思いを巡らすとき、山崎弁栄上人なら何をなさるのでしょうか。矢張り外出は避けてしっかり念仏をしなさい。と仰せになる事でしょう。考えてもどうしようもないとき、方向性を見極められないとき、念仏はことばでは説得できないことを分からせてくれます。分かるだけではなく心の平安を保つことが出来るのです。毎日仕事に明け暮れていた人が急に自粛した生活を強いられたら矢張り精神的にダメージをこうむることでしょう。自分を見失い、コントロールが出来なくなる場合も生じるでしょう。そのような追いつめられた生活の中で「念仏をする」。これが救われる道となります。
 しかし世の中には念仏を知らない人が殆どに近い。仮に知っていたとしても念仏は呪文のようなものであると考えている人もいるのです。私の知人にもそういう人がかなりいます。そこを何とかするにはどうすれば良いのでしょうか。地道に念仏の教えを広めていくことが大切であるけれど今のコロナ社会では集会を開くこともできません。そう考えてみると「為先会」が行っている「ユーチューブの配信」は重要な働きかけになると思います。この方法であれば個人の都合の良い時間に法話を聴き、念仏を称えることも出来ます。今であるからこそ、この方法が有効なのではないでしょうか。これをもっと広めていくには光明会全体の力が必要なのかもしれません。このコロナ時代のピンチを捉えて人々に訴えかける時なのではないでしょうか? 今、私自身もコロナ社会の抑圧に心が萎む時があります。そんな時には山崎弁栄上人のお歌から力を頂いています。

(山崎弁栄上人お歌)
  禍をのがしてかしと祈らざれ 
   耐ふる力こそあらまほしけれ 

 私は「為先会」のユーチューブ動画を観る際、メールで配信されてきたものを開いて法話を聴き念仏を申します。まさに一体感を味わうことが出来ます。音声に合わせて仲間と一緒に念仏することの素晴らしさを一人でも多くの人に伝えていけたらなあと考えています。毎日の充実した生活がなければ、まして未来を語ることも出来ません。
 私の自宅近くに昨年大学に入学した学生さんがいます。彼が語るには「せっかく大学に入学したのに一日も大学に行けないのです。勉強はほとんどレポート提出で大学から資料がどっさりと送られてきました。勉強が終わると犬と散歩をしています。これが僕の日課です。」そう語る彼の側でワンちゃんは、まだ家に入るのは嫌だと玄関前で駄々をこねています。ワンちゃんにとっては大学なんて関係ないけれど「家に入ることが嫌」の素振りが滑稽です。「早く大学に行って仲間と出会い、学びたい」と言う彼とその側での犬との両方の素振りが何ともいじらしく感じます。「この状況を何とかしてあげられたらなぁ」との思いでいっぱいになりました。

未来のために

 未来の展望を開くためには何が必要なのでしょうか。世界中の経済もコロナにより破壊されています。このことは人間が長期に亘り経済優先の考え方が支配して、人々への倫理や心のよりどころまで奪いつつある世相の中において、経済成長を第一としてきた結果だと思えてなりません。人類は今までとって来た行動を反省し大改革をすることが急務でしょう。自然を破壊も急停止しなければなりません。
 明るい未来を作るために人間一人一人が自覚して立ち上がるべきです。一人の人間の力は弱い。けれど人類全体が意識の改革をして行動すれば明るい未来の社会作りは不可能ではありません。人間の意識の改革にはまず人間性を変化させていかなければ、すぐに社会は乱れ地球の破滅に向かうことも有り得ます。どうすれば人間を良き方向へと改革ができるのでしょうか。
 ここで地道ではあるけれども宗教家が立ち上がらないと人間の改革などできるものではないと思います。私達はお釈迦様、善導大師、法然上人、山崎弁栄上人の御教えに従うのならばなんとしても社会に訴えかけ、一人でも多く御教えの道に導いていくべきであると思います。それには難しい教義をかざすのではなく、実に子供にも分かるような呼び込みが大切かと考えます。大半の人間は学術的な難しい法話のみでは人を取り込めません。これは優しいようで大変難しいことだと思います。
 私は知人に光明会を知ってもらいたくて冊子等を差し上げることがあるのですが難解でとても分からないと言われます。初心者向けのしかもそれでいてあまり物語的でない(現実離れしてないもの)冊子があればと考えています。難解な教義は人々をとりこんでからの徐々に伝えていくという順序を踏んでいけば良いのではと、そんな風に考えています。会員が一丸となり、考えそして実践していこうではありませんか。そのことが実現できたときこそ、人々へ地道に配信した「心の処方箋」が生きて来る時だと思います。
  合掌

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