光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 図書館で見た郷土冊子「観音講」

山本サチ子

 コロナ禍の日々、私はどうしても外に出たい願望に駆られ、毎日一時間以上の散歩を欠かしません。自宅から丁度良い距離が人混みを避けた図書館までのこのコースです。広い枝豆畑が見渡す限り続いています。各家々の庭には色とりどりの花々が咲き、道行く人の目を引きます。このコースは私のお気に入りの道なのです。図書館に入ると「在室時間は一時間です。ソーシャルディスタンスを守りください」とのアナウンスが館内に響いています。限られた時間の中で私は何か面白い本がないかとキョロキョロしていたら、この大井地区の郷土資料冊子が目に留まりました。自分がここに引っ越してきて早くも10年が経っています。少しはこの地域の歴史を知りたい気分に駆られ手にした冊子です。そこには興味深い事柄が写真入りで掲載されていました。

〈郷土冊子で見た地域〉

 歴史資料によると有形文化財、無形文化財、民俗文化財等に区分されて掲載されていて図書館に隣接するふじみ野市立大井郷土資料館にそれが多数展示されています。この地域には三つ葉葵の紋の「鬼瓦」が現存します。昔、川越城内の米蔵を払い下げてもらいこの地域、大井町の校舎としました。他にも「十三仏掛軸」や「阿弥陀如来立像」が展示されていて、これは鎌倉時代に流行をみた善光寺式と呼ばれる阿弥陀三尊像です。三尊とも一鋳の銅像で、全身に鍍金を施しますが台座は別鋳です。この地域では発掘調査が盛んで「縄文式土器」縄文時代中期のものが展示されています。他にも「板石塔婆」が数多く出土しています。無形民族文化財では「大井上組はやし」などがありました。中でも一番に目に留まったものはこの大井地区の「市沢の観音講」です。観音講は現在も続けられています。『普門品読誦蓮中掛け銭覚帳』に文化6(1809)年正月とあることから、その頃には既に観音講が成立していたと推定されます。この行事では『法華経観世音菩薩普門品』を唱え勤行を行います。講は回り番で持ち、参加者は各家の戸主が原則で、女性は参加することができません。現在は年4回の実施に変わっています。私の故郷の観音講との違いは、私の故郷では女性が中心になり観音講を催していたことです。

〈故郷の観音講〉

 図書館で目にしたものは、それぞれ見応えのあるものでしたが、その中でも一番目にとまったのは「観音講」で私がまだ小学生であった時分に、生まれ育った町でも「観音講」は行われていたのです。他所の家で行われる観音講をみる度に私は母に「どうして私の家で観音講をしないの」と問います。母は「持ち回り制度だからまだ順番がこないのよ」と言います。「早く家にも順番が回ってくればいいなぁ」と言う私に、母は笑って「数年後には順番がきますよ」と言います。私は「あと何年経ったら?」 としきりに答えを迫ります。母「3年かな」、私「早く3年経たないかなぁ」…と連発する私をみて母は笑っていました。私は心で「笑い事じゃない。一大事な事なのに」…と思った。「早く3年経たないかなぁ。善五郎の家、善治の家、畳屋の佳子ちゃんの所、そして源五郎のせっちゃんの家、セメント家、たばこ屋、権兵衛さんのところばかりだ」。「何で私の家への順番が遅いのよ」としきりに母を困らせたことが思い出されます。 
 図書館に行ってあの日の頃が蘇りました。思い出は限りなく続きます。何処かの家で観音講があると大人たちは周囲の子供達を呼び集め、お餅やお惣菜をたくさん食べさせ、帰りにはお菓子なども持たせてくれるのでした。それが嬉しくてそして大人達が集まってお経を唱える様子をじっと見ていたのです。私の故郷では古くから続く5人組制度が残っていて、5人組は皆助け合いながら生活します。周囲の子供が少しいたずらなどをしたらまわりの大人たちが子供を諭すことはあたりまえでした。現在、故郷では観音講はありません。若者が都会に出てしまい人口が激減したからです。生活様式も変化しました。昔は学校から帰ると家の手伝いをさせられましたが、今の子供は街まで車で送迎してもらい塾やスイミングスクール等に通います。私の子供時代、家の手伝いの無い日は猪苗代湖まで自転車で水泳に通いました。冬はソリやスキーで楽しみます。友達がたくさんいて楽しかった記憶が蘇ります。時代の変化は止められません。けれども少しでも原点に戻り昔の生活を見直す必要性があるのではないかと思います。今、この土地に住んでみると地域のことを良く知り、隣人たちとの触れ合いの場を増やせたらとの思いが募ります。コロナ禍は昔を振り返らせ、もう一度立ち上がるチャンスを与えてくれたと思うのです。
 それは自分の生活から見ても隣人との触れ合いや社会との関わりがこれまでと比べ変化してきたからです。隣人を知り、触れ合い方を考える良いチャンスであったと思います。現代は目まぐるしい物質文明の進歩の恩恵に浴しつつも、「知・情・意」の精神面の修養に深く思いを致すべきと考えます。このコロナ禍が人類に打撃を与えたのみではなく、このコロナ禍の時代が全世界に及ぼした出来事をバネに私達は自分の生活や世の中を見直す大きなチャンスを頂いたと思います。

〈結び〉

 2019年5月に光明会は「山崎弁栄上人百回忌記念法要と法の集い」を光明学園相模原高等学校を舞台として執り行いました。百回忌の式典に合わせ「行誡上人の遺墨」等を合わせ実行したことは大きな成果でした。光明会、讃仰会、眞正同盟、光明学園相模原高等学校、これらが協力しあったことはまさに成功に繋がったことだと思います。あの時に話題にあがった「会員の増加、講読者増員のための呼び掛けを一丸になり実行しましょう」との話題は今でも心に強く残ります。あの行事開催で一つになったことを思い返し新規新たに驀進せねばと思っています。
 古くから続く「観音講」に思いをはせて会員の皆様と向上していきたいなとの思いが一層大きくなりました。観音講も糸をたどれば御教えに繋がっているのだと思います。山崎弁栄上人の御教えに少しでも近づき実践して行く使命を新たにしました。 合掌

世の人の心を照らすみひかりは
 いかなるものもさえぬなりけり
  山崎弁栄上人

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