光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 心に残る別時

山本サチ子

 学生時代、今から約50年も前のことです。今年の冬休みをどう過ごすかそろそろ計画を立てなければと考えていた矢先のことです。一本の電話が入りました。それは河波昌先生からです。何故か電話の声が弾んでいます。
 「実はね東京青年光明会主催で一泊二日の別時を開催したいと思います。ついてはそのことで打ち合わせをしたいのです」とのこと。
 「いつでしょうか?」と問う私に、先生は「チョット忙しい日程ですが2週間先です。巣鴨の瑞真院さまで実施したいと思います。導師は九州の三隅栄俊上人です。あなたはお上人にお会いしたことがありますか?」、「一度もありません。」と答えると先生は「それなら尚更良い機会ですね! 彼は大学時代の僕の友人でね、福岡久留米にある摂化院の開山上人です。」
 私は「この時期はもうすぐ冬休みに入るから無理です。」と冷たく答えてしまいました。すると先生は「このチャンスを逃したら三隅上人の別時は開けませんね。」とおっしゃいます。私は「先生! 時期が悪過ぎます。」と訴えました。けれども先生は「いや、やりましょう。たとえ参加者は少なくともやるべきです。」
 やる気満々の先生に、ついに私は「そうおっしゃるなら、大至急各人に開催のお知らせのハガキを出します。」と答えたのでした。
 東京青年光明会の世話役を引き継ぐ時からもっと適任の方がいるはずなのに、何で私なのか、あまり乗り気ではなかったのです。そんな自分が大きなことに引っ張られていく不安を感じました。もっと適任者がいるはずと考えたものの、実力のある諸先輩方は皆、就職やさらに学びのために地方にそれぞれ帰省してしまいました。私だけが残されたのでした。

〈打ち合わせ〉

 翌日の昼頃、河波昌先生は池袋の三越前に資料と荷物を抱えて立っておられました。別時で使用する掛軸や資料を持参されたのです。会場は浄土宗の寺院の瑞真院さまです。昨年一度、別時念仏をそこで開催させて頂いた会所です。昨年私は世話人ではなく、参加するだけの気楽な身分でした。ところが次年度4月からは私がお世話役になったのです。先輩の方々が大学卒業やら会社の転勤等で東京を去りました。このままでは東京青年光明会を継続できないとのことで止む無く私が引き受けることになりました。東京青年光明会の名簿等は高田馬場で藤本浄彦上人から預かりました。とても自分には大きすぎると思いつつも大学卒業までは続けてみようかと考え引き受けました。「これから先どうなることやら」と不安に思っている頃の事でした。
 河波先生と私はその足で山手線の巣鴨駅から徒歩5分程の随真院さまへと向かいました。随真院さまは駅から近い便利なところですが、驚くほど落ち着いた静かな佇まいでした。住職は千葉県にある「医王寺」の住職でもあり、その尼僧さまはこの「瑞真院」と「医王寺」の住職を兼務しておられました。90歳と信じられない程に立ち居振る舞いがシャキシャキしています。住職さんは、千葉県にある医王寺と巣鴨の随真院を行ったり来たりして寺を支えておられます。戦争で息子さん夫妻を失くされて、残された幼いお孫さんを育てて来られた力強いお方です。そのお話を聞かされた時はこんなに強いお方がおられることに嬉しさを感じ、自分も少し見習うべきであると思いました。しかし時期が悪いこととはまた別問題です。けれども河波先生の「どうしても別時を開催したいのです。」とおっしゃる熱い気持ちに負けました。参加者は少なくとも良いのです。この一言で「決行するぞ」と腹が決まり開催することになりました。
 案内の葉書は出したものの、やはり時期が悪く、参加希望者は数名でしたがお布団を借りる予約電話を入れました。私は東京近辺在住の自宅通いの学生さんを拝み倒して7名程集めました。男性が2名、女性が5名、社会人の男女3名、合わせて合計10名です。何とか形になるかなと思いましたが、それでも宿泊できる学生は女性5名でした。この5名は毎日の様に大学内で顔を合わせている友人でしたので無理を承知でお願いしたのです。すると「このくらいの人数ならば私が食事を作ります。」と寺の若奥様が仰ったのです。まるで観音様の救いの御手です。「ありがとうございます」と深く下げた私の頭は、感激で、すぐ上げることが出来ませんでした。

〈別時を開催して〉

 開催の前日、河波昌先生から急きょ連絡があり欠席の知らせがありました。どうしよう!私はお導師の三隅栄俊上人にお会いしたこともない。困った! 困った! 
 でもやるしかない! 頑張れ! と自分に言い聞かせて随真院さまで三隅上人に初めてお会いしました。想像していたお方と違い、あまりにもお優しいので友人も良かったわねと小声で私にささやいていました。法話はとても分かり易くて念仏の時間もいつもより休憩時間を入れてくださった気がしました。初心者の若い女子学生に気の毒とお上人も思われたことからの配慮であったと思います。別時の初日の夕方、女性2名の参加者が加わりました。終了後、どなたかお聞きすると「藤本浄彦の妹です。」とお二人が仰ったのでびっくりしたり、有難くて胸がいっぱいになりました。「兄から別時に参加するように言われました」と話すお二人のことが今でも忘れられません。沢山の人の繋がりをこの時ほど嬉しく感じたことはありません。別時の終了した数日後、河波先生から準備を手伝ってくれた友人と二人で池袋でおいしい食事をごちそうになりました。私は調子に乗って言ったのでした。「先生、ご馳走さまでした。また別時をしてもいいですよ!」すると先生は「次回はもっと豪華な食事ですね」と。いたずらっ子の様に高らかに笑われました。

〈結び〉

 法話は初心者向けで「南無阿弥陀仏とは」の優しいところから導入されました。参加者の友人からは「念仏が生活と結びついている素晴らしい修行であることを知りました。また機会があれば参加したいです」との感想がありました。
 別時が無事に済み数日経ったある日、九州の久留米市在住の三隅上人から私宛にお礼状が届きました。私は思わず、「しまったぁ!」と叫んでいました。とんでもない。お礼状だなんて私が先に出すべきでしたのに。反省ばかりです。私は今でも三隅上人から届いたお礼状と年賀状を大切にしています。私は三隅上人の美しい文字を見ると、今でもあの時の感動が蘇ってきます。そして別時に携わってくださったすべての皆様に感謝です。この別時に参加してくださった友人達とはより友情が深まりました。すべて如来様のお導きなのですね! 友人は元気で、今でも私達は交流を続けています。生きて行くうえで何が大切で何が悦びなのか、この別時を通して強く教えられた貴重な体験でした。50年も前のことなのですが昨日の出来事のように思い出されます。人との繋がりがいかに大切かを知らされた念仏会でした。
 合掌

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