光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 河波上人のお導き

鎌尾光栄

 今年の四月に、早くも、前光明園の園主であられた故河波上人の七回忌を迎えます。昨日のニュースで、強い寒波の到来によって上人の眠る京都福知山の地に雪が降りしきる様子が映し出されていました。私がお参りさせていただいたのは、強い日差しが照りつけて菩提寺の木々の影が濃い夏のことでした。あれから六年近い月日が経とうとしています。弁栄聖者の「うつりゆく 時とわが身は うつるとも こころひとつは なむあみだ仏」のご道詠が心に染みてきます。
 私が光明園に通うようになり、最も深い思い出は河波上人との出会いであったように思います。大学で仏教を学ぶことになったのも、僧侶になることも上人のお導きでした。以前から学問の大切さを説かれていましたが、ある年の唐沢山別時に向かう車の中で、「大南さんにお師匠さんになってもらいなさい。」と仰いました。私も不意で驚きましたが、大南先生も隣で苦笑されていたのではないかと思います。
 その時は出家は考えられませんでしたが、数年後に京都の仏教大学で学び、知恩院において加行を受けるご縁を頂きました。しかし、寺院出身でもなく既婚者である女性は私の他にはおらず、気力的にも体力的にも大変厳しい道程でした。大学での実践講義は習いに行くのではなく、すでに基本的な作法や勤行など、修養してあることを確認する場であることが前提であったためです。ともあれ、ひとつの通過点を経ることができたのは、家族の理解と協力がなければ成せることではなく、深く感謝しています。
 暮れも押し迫った師走、加行最後の二日間は、伝宗伝戒を授かるため百八人の新発意が道場へとお念仏を称えながら行道しました。法然上人の御像をお祀りする御影堂の広く長い回廊を、阿弥陀堂へとゆっくり進みます。前を歩く修行僧と二間もの距離をあけながらの行道なので、まるでひとりで歩いているようでした。阿弥陀堂へと続く渡り廊下まで進むと、渡り廊下が高くなっていて、その先の小さなお堂の屋根が見渡せました。そこには朝日に輝く黄金色の銀杏の葉が一面に散りばめられていたのです。そして、翌日の最終日には、銀杏の葉はきれいに消し飛んでいて、今度は、霜が降りた屋根は銀色にキラキラ光っていました。その美しさは忘れることができません。曲がりなりにも三週間の修行で清浄になった眼で見た鮮やかな色でした。伝法とともに宝物をいただきました。
 そしてこの度、大学の卒論作成にあたり、分からないことがあると偶然に手に取った河波上人のご著書や法話のノートにその手がかりが書かれていることが度々あり、本当にありがたく、不思議でした。今回それらを読み返して、河波上人から宗教の全きを教えて頂いたことを痛感しました。
 唐沢山別時では礼拝儀に関する法話が印象に残っています。聖者ははじめ『訓読阿弥陀経図絵』を施しつつ結縁しましたが、やがて病気療養がありがたい機縁となり、新しい法門が展開されました。河波上人は『阿弥陀経』から「礼拝儀」への変革を迫ったのはバイブルだった、と推察されています。ルカ伝の「主の祈りを祈る」という処に聖者はぶち当たり、「嗚呼、そうだったか」と得心されたというのです。阿弥陀様に「大ミオヤよ」と呼びかけていることが決定的に重要です。「お釈迦様の祈りの内容が聖者の祈りの内容になり、礼拝儀になっているのです。そして私たちひとり々の祈りと直結していくのです。礼拝儀にはどのように生活していくのか、が書かれています。『無量寿経』と「ルカ伝」が重なって、二千年の歴史背景で礼拝儀が成立しているのです。」とご教授下さいました。
 上人はルカ伝の「主の祈り」をご説明されるとき、『無量寿経』の「爾時世尊、諸根悦予、姿色清浄、光顔巍巍」のところをお称え下さいました。弟子のどのように祈ればいいのでしょうか、という問いに、キリストは、父よ御名をあがめられますように……、と教えました。そのキリストの祈りを「主の祈り」といいます。聖者はその形式を『無量寿経』にあてはめられて、お釈迦様と同じ祈りを祈りなさい、と教えられ聖者も高く深く繰り返 したところなのだそうです。
 上人は「爾時世尊はその時(瞬きする瞬間ほどの短い時間)に世尊はという意味です。諸根悦予は皮膚がよろこび、身体全体が笑っている挙身微笑です。姿色清浄は般若波羅蜜、空があらわれてきます。空になる時に清浄になります。光顔巍巍は神々しく輝いている事で、お念仏をしていると徳が頂けるのです。深い祈りの中で人間の高貴性が生まれてくるのです。」と、祈りによって変容していくさまを解き明かされました。上人は縁起の実践であるお念仏をお称えすると、いつもにこにこと穏やかにいられることを体現されていました。聖者は念仏三昧をすると交感神経(掉挙)と副交感神経(昏沈)のバランスが整い微笑がでてくると説明されているそうです。
 また、キリスト教の神も阿弥陀仏も「同体異名」であると初めて伺ったときは新鮮な驚きがありました。フランス人の哲学者H・ベルクソンが論じた、閉ざされた宗教と開かれた宗教を例に挙げて、「一宗一派の枠を超えて外に開かれていくことが求められているんですよね。究竟大乗浄土門なんですから。」と念仏の心構えを教えて下さいました。
 今から10年前になりますが、初めて上人のご法話を賜ったとき、「寂静で聞こえる音はどんな音でしょうか。皆さんへの宿題にしますね。」と話されました。宿題をやっていかないわけにはいきませんので、家に帰って調べましたが、それまで宗教とは縁のない生活を送っていた私には、なんのことやらさっぱり見当がつきません。法友から渡された唯一の仏教に関する『宗祖の皮髄』を眺めてみても寂静に関することは書いてありません。むしろ「愛」という言葉がたくさんあり、仏教と愛が結びつかず混乱しました。指されたらどうしようかと心配しながら次月のご法話を拝聴しましたが、特段話題にされずに終わりました。おかげで寂静と音楽を気に留めるようになりました。
 鍼灸の治療をしている時に、上人のお父様やお母様のことや学生時代のこと、別時に参加したことなど様々な話題がありました。お母様は音楽学校に入学することが決まっていたそうですが断念されたそうです。お母様のピアノに合わせて外国(どこの国かは失念しました)の民謡を一緒に歌ったことを楽しそうに教えて下さいました。上人の音楽を愛するお気持ちの原点なのでしょう。
 さて、宿題が出された翌年に、浄土宗日常勤行式の「開経偈」の微妙法は妙有であるとして「色即是空、空即是色ですので、如来様の光明に触れるときは空になり皮膚の感覚、五感の世界が開けて、耳は空ですから大寂静の音楽が聞こえるのです。」と話され、天上の音楽についてもご説明下さいました。きっと上人は今、大寂静に住して正覚大音響流十方の得もいわれない音楽に包まれていることと思います。

南無阿弥陀仏            合掌

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