近畿支部辨榮聖者生誕別時念仏会
安宅川 崇
近畿支部主催の辨榮聖者生誕別時念仏会が、2月17日(日)京都山科念仏道場において6名の参加者で開催されました。
亀山政臣師維那進行により10時より朝の礼拝、聖歌「念仏七覚支」(3番迄)と念仏、正午昼食、13時念仏、13時15分講話、14時20分聖歌「念仏七覚支」、念仏、15時聖者他回向、聖歌「のりのいと」を歌い、15時過ぎ終了し、自由参加で茶話会をしばらく行いました。
佐野成昭師講話は、「弁栄聖者と私」と題し、最近出版された原作冨川茂『弁栄上人様のお話とお弟子達の入信(改訂新版)』を資料に使用して、次のようにお話されたと理解しました。
聖者の幼少期から晩年へと至る偉大なる軌跡、霊徳による奇跡の数々、そして、命あるものに対する限りない慈しみ等々、ご自身が受けた弁栄聖者のご印象について語られました。
また、直弟子、笹本戒浄上人、田中木叉上人と聖者とのお出逢場面が素晴らしいことを強調されました。お二人の高弟が、聖者に初面会される時、お二人は聖者のお部屋に入れなく、只感極まって涙を流され、挨拶やお話も出来ませんでした。そのお二人が純真で偉大であったから、更に偉大であった弁栄聖者の霊徳を感じ、圧倒されました。それ以後お二人が真の高弟になられました。それ程、聖者の感化力は凄いものだと語られました。程度こそ異なれ、お逢いしただけで感化され、お弟子になる方が、聖者遷化の二、三年前多く輩出しました。
聖者は、62歳で短命と言われるけれど、当時の平均寿命40歳弱と比べると長命でした。活動時間や内容を考慮してもご長命でしたと説明されました。
講話時間の最後の20分程は、講師から参加者に、聖者の個人的印象を尋ねられました。
参加者の一人は、「昔、田中木叉上人に初面会した際、只涙が出て何も言えなかった。すると手に印を組んだまま座っておられた木叉上人は『あなたは、まだ、若い。これからよくお念仏なさい』と語られた」と話され、まったく、聖者と高弟との涙無言の対面と同じことが、あったことを知らされました。
他に参加者一人ひとりが率直に聖者敬愛の思いを語り合う中に終了時間となり、和気のうちに名残を惜しみながらお開きとなりました。