光明の生活を伝えつなごう

九州支部だより

九州支部 平成19年7月

4月巡伝報告

福岡地区 辻本 良明

15日 福岡光明会 10人
16日 正法寺 休会

久しぶりに福岡光明会にお伺いしました。可愛らしいお嬢さんも一緒にお念仏をお称えした後、法話に入りました。パネルシアターも皆さん大きな声を出して楽しんで頂きました。「不断光」を講題として、作仏度生や同体大悲の愛を具体的な例を挙げながらお伝えしました。

粕屋地区 鶴山 恒教 ・西 徹空

13日 西林寺 70人
14日 珠林寺 26人

西林寺様へ代講としてお邪魔をいたしました。今席は「法然上人御忌説法会」を兼ねており、総代さんをはじめ、多くのご参詣・ご聴聞をいただきました。

法然上人さまご遺訓のしめくくりは「一文不知の愚鈍の身になして・・・ただ一向に念仏すべし」とあります。その御心をいただき、浅学非才・三毒四障の我が身であっても、阿弥陀ミオヤにすがり、日々に口称のお念仏をいただくことで、必ず往生の要因とされる四機へと導いていただける、ご本願の尊さをお取り継ぎさせていただきました。

宗祖796回忌に偶然ではなく必然的に今席のご縁をいただいたことに感謝いたします。お世話下さった皆さま有難うございました。

合掌(鶴山)

代講で久し振りに珠林寺へご縁をいただきました。いつもながら、加藤上人の力溢れる高声のお勤めとお念仏に、また熱心なご参詣の皆さまの態度に元気づけられる思いがいたします。

法話は「心闇くして如来の在すことを識らざりき」 凡夫が導きとお育ての有様を、自身と有縁の方々の実話を通してお話いたしました。

5月は平成6年に続いての五重相伝会を奉修される由、教化に片時の暇もなき寺門の隆盛に感銘いたしました。(西)

北九州地区 炭本 義空

20日 大願寺 60人
20日 戸畑光明会 14人
21日 円応寺 15人

大願寺様では御忌法要併修でしたから、御忌の話をさせていただきました。

戸畑光明会では「炎王光」について、話をさせていただき増した。とくに業について説明させてもらいました。

円応寺様では知恩院で御忌法要中、しかも中日にあたっておりましたので、御忌について話をさせていただきました。

長崎地区 熊野 忠道

22日 善隣寺 24人

当地の巡伝は5年ぶりの結縁であった。山主辻本上人の教化の熱意が反映して都会としてはかなり多数の参加があり、法灯連綿として続いていることを感嘆す。

 の聴聞態度も極めて熱心で好感が持てる法座であった。当方も88歳のため年々老衰の度が増し「一期一会」の念が身にしみて痛感される。従来九品院と二ヶ所であった当地の巡伝も九品院が中止となり、いささか寂しさを禁じえないが、これも因縁の然らしめる処と反省せざるを得ない。巡伝師の努力と熱意の昂揚を切望する。

会祖弁栄聖者は生前「光明主義は五十年後の宗教である」とも「百年後の宗教である」とも予言しておられたそうである。再来年、平成21年には聖者ご入滅後九十回忌の年に相当する。この機を一つの画期として「光明念仏」の教義が大いに伸張すべく会員一同、奮起して聖者のご鴻恩に報ゆるべく献身したいものと念願してやまない。

大分地区 金田 隆栄

4日 善光寺 20人
5日 長昌寺 休会
5日 迎接寺 休会
6日 蓮華寺 42人

善光寺様では、「こう塾」についてお話させて頂きました。如来の光明にて精神的・身体的に更正されることについて。

蓮華寺様では十二因縁について。お釈迦様は私どもが迷う原因は無明にあると説かれている。弁栄聖者はそこのところを分かりやすく「十二の迷いの相に十二の光明で・・・、無明の生活ではなく、光明の生活が必要である」と説かれている。

筑豊(A)地区 石原 光規

23日 定禅寺 8人
23日 福円寺 19人
24日 種善寺 休会

巡伝2回目。今回も「炎王光仏」について、定禅寺様・福円寺様にて話させて頂きました。

まだまだ不慣れなもので十分に伝わらない部分、わかりにくい点、聞き取りにくい点など数多くあったと思います。また自分自身がもっとお念仏をし、理解を深めていかなければと思いました。とても良い勉強になりました。今後の巡伝に生かしていきます。

筑豊(B)地区 冨永 武元

24日 西福寺 休会
24日 浄光寺 6人
25日 長安寺 6人

西福寺様、宗祖御忌会で休会でした。

浄光寺様、夜席雨天の中、参詣者は皆、浄光寺受法心田開拓の中心的助力者ばかりで有難く感じました。最後に聖歌「如来讃」を 一同で唱歌致し合掌満座致しました。

長安寺様も宗祖御忌会が成満した後と選挙の後、春野菜作りと田植えの準備等で参詣者は少数でしたが、代々ご住職上人ご夫妻の教化活動が行き届いていることを実感しました。

今回ご縁をいただきし2会所とも「忘己利他」の日常法話活動のオカゲを感じた次第です。

合掌十念。

筑後地区 炭本 義空

19日 浄源寺 休会
20日 浄土寺 20人
20日 浄福寺 休会
20日 竜川寺  8人
21日 摂化院 休会

ソレ アシタニヒラクル栄花ハ ユウベノ風ニ チリヤスク・・・「無常迅速」のご法話に胸を打たれます。今回統一地方選挙で運動中、伊藤一長長崎市長が突然銃弾にたおれ無念の最後をとげられたことはまことに悲痛の出来事で、つくづく人生の無常なる事を思い知らされます。平和で安心安全豊かな時代であるべきはずの今日、末世・五濁悪世の感を深くいたします。経文に「人間一日八億四千の念あり、念々の中の所作、皆これ三途の業なり」と、「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 従身語意之所生 一切我今皆懺悔」しなくてはならない。また天災地変に遭う時は人力の如何に無力であるかを思い知らされる。(先般の能登半島地震。台風時期の風水害等々)

仏教の途に入るには「無常観・罪悪感・無力感」の三感によりといわれている。(例話)我々ただ1回きりの招待を受けた人生である。「今生」において自己を考え振り返って自己をみつめなければ未来永劫に救われる日は来ない。そこに残された唯一の道、それは「ただ一向に念仏すべし」の念仏相続だけである。南無阿弥陀仏。

浄土寺様、竜川寺様には送迎・宿泊・食事等ご配慮の程厚く御礼申し上げます。

島原地区 日隈 敬慈

25日 慶厳寺 80人
25日 安祥寺 休会

南無阿弥陀仏

福岡・佐賀・長崎と、3県に連なる山々の錦織りなす新緑に心を洗われながら、諫早・慶厳寺さまに初めてご縁を頂きました。

一山の厳容に圧倒されつつ、本堂でのお勤め、そして高座へと導かれました。寺門の歴史と伝統、そしてお念仏信仰が息づく堂内の雰囲気。説者を温かく迎え、より良い法話を引き出そうとする聴聞衆の眼差し。あっという間に1時間が経過しました。

稲永上人のその重責を全身で受け止めとおられる姿勢にもいたく教えられました。今回のご縁を心より感謝申し上げます。

聖恵(めぐみ)病院 辻本 良明

27日 70人

3回目の福岡聖恵病院は、会場が広いホールに移動となりデイケアの方々も参加して、大勢の方々の前での法話となりました。

金子みすゞさんの「さびしいとき」を紹介しながら、同体大悲の愛についてお伝えしました。息子から叱られながらも、なお息子のことを心配するお婆ちゃんの話をし、ほとけさまの心とは、表には出さない相手の心の奥深くにある悲しみと重なることだとお話しました。

法話の最初にやるギャクやパネルシアターも喜んでくださり、大変気持ちよくお話をすることができました。安松理事長上人のお人柄のなせる技だと思いますが、集まった方々が人生を楽しもうとなされている姿が印象に残りました。

佐賀地区 多賀 学昭

19日 安養寺 48人
20日 浄泰寺 70人
21日 九品院 50人

浄泰寺住職上野幸慈上人の希望で、3月、4月と2回にわたって弁栄聖者のご一生を中心に連続してお話させていただいた。限られた時間の中で、どのエピソードを取捨すべきか、仲々むずかしかった

3月の巡伝では、弁栄上人のご誕生から、筑波山での三昧発得のご経験までを中心に、4月の巡伝では、お上人の三昧発得の内容が華厳の法界観にもとづくものであることと、晩年の光明主義教学の内容の特徴などを中心にお話したが、言い足りなかった部分がまだまだあることを痛感している。

今回強調した点は、華厳でいうところの理事無礙法界の風光が、学問や観念でなく「如来様をお慕い申しお称えする」情の念仏の中に現成されて来るという事である。情緒というものが、理屈を超えて私どもと自然や宇宙を結びつけてくれる事を芸術を例にひいて、皆で滝廉太郎の「花」や「荒城の月」、最近流行っている「千の風になって」を歌いながら話を進めた。ある程度共感してもらえたのではないかと思う。

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