光明の生活を伝えつなごう

九州支部だより

九州支部 平成19年9月

6月巡伝報告

大分地区 岩崎 法彦

4日 善光寺 代講
5日 長昌寺 休会
5日 迎接寺 代講
6日 蓮華寺 40名

9時からの例会が始まり、10時から本堂でお参りをさせて頂きました。お参りの方の多さと、行事の多さ、諸々。

法要日数の縮小等を考えてしまう自坊の在り方を考えると工夫・努力不足を感じる。お念仏、日々の小さな積み重ねが大切と、1時間お話をさせて頂きました。

《代講 岩崎法彦》 無事終えました。

筑後地区 川端 勝教

19日 浄源寺 休会
20日 浄土寺 15名
20日 浄福寺 日を変更
20日 竜川寺 10名
21日 摂化院 休会

あじさいも 微笑かえす 寺参り

梅雨晴れの中、浄土寺・竜川寺の二ヶ寺にお参りしました。今回は「歓喜光」の抜苦与楽についてお取り次ぎいたしました。現在は自殺者が年3万人と言われております。一切皆苦の中で耐え切れず一人静かに亡くなる。

苦楽は矢に喩えられ、《楽》楽の一番矢は楽しい。しかし二番目の矢は欲の働きによって苦の始まりになる。《苦》苦の一番矢は苦しい。しかし二番目の矢は念仏を称えている人はさほど受けない!《苦でなくなる》。これが抜苦与楽の歓喜光のお慈悲を頂くのであると。

北九州地区 冨永 秀元

20日 大願寺 代講
20日 戸畑光明会 代講
21日 円応寺 20名

梅雨の真っ最中とはいえ、少雨の影響でまだ田植えの終わっていない田んぼを横目で見ながら円応寺へ向かった。20名あまりの参詣者の中には新しい顔ぶれも多数見受けられ、教化の程がしのばれる。

円応寺と私寺は同じ小倉組に属しており、方丈とは浄青会時代よりかなり深いお付き合いをさせて頂いたが、最近とくに住職としての技量には感心させられることしばしばである。法務、幼児教育と忙しい中に、色々な役職も増えている様子、体に気をつけてお互いに細く永く行きたいものである。大願寺、戸畑光明会は急な法務のため代講をお願いした。

《代講 日隈 敬慈》

思いがけずご縁を頂戴いたしました。田植えの季節。待ち焦がれた雨でしたが、雨音の風情を添えるほどのものでした。

大願寺様は椅子と木魚の台が完備され、肉体の苦痛なくお念仏ができるよう配慮が行き届いております。皆様、お寺に来るのが楽しいそうで、まことに熱心なお勤めでした。

戸畑光明会様は岸田様宅で7時からのお勤めです。今回で確か4回目だと思いますが、初めて日の長い明るい時間に伺いました。光顔巍々たる三昧仏さまのお足元に往生を遂げられた大姉居士の法名とお写真がお祀りしてあります。ご高齢のそのお顔のお美しいこと・「如来さまの救いはその人の顔に現れてくる」の先達のお言葉が心地よいエコーを伴って耳に響いてきました。その子供さん方も今日はお参りとのこと。人数も増えておられました。 

合掌

筑豊(A)地区 大和 顕栄

23日 定禅寺 8名
23日 福円寺 19名
24日 種善寺 16名

6月中旬より梅雨入りしたものの降雨は殆どなく蒸し暑い日々の続く中、三ヶ寺とも の皆様の真剣なお勤め、聴聞の姿を拝見して大変たのもしく有難く深く感銘いたしました。

法話は「真実の幸せとは何か?」ということについて、弁栄聖者の歓喜光の御教え、及び仏教の根本思想である四法印の教えを引用してお話をさせて頂きました。

筑豊(B)地区 今井 裕光

24日 西福寺 休会
24日 浄光寺 4名
25日 長安寺 10名

浄光寺様は若い後継のお上人・秀篤上人が一緒にお勤めをして頂きましたので、この若上人と中心に皆様へも「一枚起請文」のお取り次ぎやら勉強会をさせて頂きました。

長安寺様は大勢の方々のお集まりで、大谷上人のご教化の賜と頭の下がる思いでした。巡伝に出させて頂きますと、日頃の念仏不足が痛感されます。 

合掌

島原地区 菅野 浄光

25日 慶厳寺 38名
25日 安祥寺 10人

梅雨の晴れ間となり慶厳寺もたくさんのお参りでした。日頃の教化を積み重ね着実な一歩となっている様に思います。

安祥寺 人数は少ないが熱心に聴聞下さった。お念仏も日々の積み重ねが大切と、1時間ほどお話をさせて頂きました。

聖恵(めぐみ)病院 岩沼 光裕

22日 78名

初めて行かせて頂き大変な感動、という一言に尽きます。参加者の方々は他宗教の方々なのにすばらしい念仏の大合唱でありました。今回「清浄光」のお話をお取り次ぎさせて頂きましたが、30分という時間の中、例え話が多すぎたと思います。次の機会を頂ければもう少し中身をコンパクトにまとめたいと思います。福岡聖恵病院の光友の輪がますます広まることを祈念しつつ筆を置きたいと思います。

長崎地区 金田 恭俊

22日 善隣寺 16人

初めて善隣寺様へ巡伝させて頂きました。いつも思うことですが、このような巡伝のご縁を頂くことによって更にお念仏に励むことができました。ありがとうございます。

お話は「清浄光」について。弁栄聖者のご遺稿を学ぶうちに、いままでの私の清浄光の話は、如来様への愛慕憶念が欠けていることに気づかせて頂きました。自らの心を清らかにしようと思っても、また見仏したいと思っても、そこに如来様への愛慕憶念の心がなければ、成就し難い難行になってしまいます。どこまでも如来様にお任せしていく。この心を忘れてはいけないと思いました。

今後は(善隣寺様ご住職様からもご指導頂きましたが)光明主義の教えを自らの体験によって消化し、活きた法話ができることを目標にお念仏に励んでいきたいと思います。

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