光明の生活を伝えつなごう

九州支部だより

九州支部 平成22年8月

6月巡伝報告

聖恵(めぐみ)病院 金田 隆栄

25日 92名

平成14年の巡伝依頼、8年振りのご縁を頂きました。今回は明るい会場でした。参加されている皆様の目の表情と全体の雰囲気が一変し、話をしている私にとっても少しでも大事な事を皆様に伝えねばど、自然にそのような気持ちになりました。

このような病院にご縁のある皆様は大変幸せと思います。又、私の寺でもかくありたいと思います。合掌

福岡地区 大谷 決正

15日 福岡光明会 13名
16日 正法寺 45名

福岡光明会と正法寺。共に梅雨空の中を参詣し熱心にお念仏をされ、ただただありがたい限りでした。

念仏七覚支の「弥陀の身色紫金にて 円光徹照したまえる 端正無比の相好を 御名を通して念おえよ」についてお話いたしました。

大分地区 山上 光俊

5日 長昌寺 休会
5日 迎接寺 29名
6日 蓮華寺 38名
7日 善光寺 25名

善光寺会場は本来4日ですが布教研修会が重なったので、ご住職菅野俊光上人の計らいで7日に実施していただきました。
2年ぶりにご縁を賜りまして「弁栄聖者御垂示」と「名体不離」について法話させていただきました。

光明会関係の記事を散見して法身に関するものが多いように思います。やはり報身阿弥陀仏中心でないとブレます。法然上人の選択本願念仏のみ教えをコンデンスされたものが一枚起請文であるように弁栄上人の光明主義の十二光大系をコンデンスされたものが

「真理の終局に帰趣すれば佛界に入るなり。佛界に帰するは真理なる故に、自然なり法然なり。故に易住といふ。唯絶対無限光壽、即ち、弥陀の聖名を崇め、聖意を仰ぎ帰し奉りて、意に至尊をのみ憶念し、口に聖號を称へ、身に聖意の実現に行動すべし。一念弥陀なれば一念の佛。念々弥陀なれば念々の佛。佛を念ずる外に佛に成る道ぞなし。三世諸佛は念弥陀三昧に依りて正覚を成ずと南無」

の御垂示であると思います。この御垂示の大切さを解説し解り易く説くとともに「名体不離」については辨栄上人の「安心は暗示なり」の御指南からヒントを得て、E・クーエの暗示論の中で一番シンプルな暗示は「Tous les jours,a tous points de vue,je vais de mieux en mieux」(毎日あらゆる面で私はますますよくなってゆく 英訳 Day by day,in every way,I am getting better and better.)であり医学的にすごい効果を上げていること。そしてこの言葉を引用して信仰を持っているかたにはその暗示に by the help of God を付け加えることを勧めているので「阿弥陀仏様の御恵と御力」によってますますあらゆる面でよくなると自分に暗示をかけるように心がけると「仏を憶う」心を育てることができるとお話いたしました。各会所には跡継の若い世代の方が活躍してくださり大いに期待したいと思います。過分なるご厚情に心からお礼を申し上げます。

海原に光の道しく日の出かな

合掌

筑豊A地区 菅野 俊光

23日 定禅寺 6名
23日 福円寺 15名
24日 種善寺 19名

久しぶりの筑豊A地区の巡伝でした。

定禅寺。境内のうっそうたる藤棚をくぐり本堂へ。午後1時半少人数ではあるが、成美上人導師のもと礼拝儀にてお勤め念仏の後、「清浄光」について法話させて頂く。継続は力なり。成美上人頑張ってください。

福円寺。午後7時暮れの礼拝をご一緒に、「清浄光」のテーマにて法話、秀元住職、八面六臂のご活躍の様子、御法体大切に・・・フト思う。もし私が在家の身で在るならば・・・諸々の誘惑を振りきって午後7時からの例会に参拝するであろうかと考える・・・15名の参拝者に頭が下がる。それだけに巡伝師は心して臨まなければならない。

種善寺 午後1時、今年4月より帰山の悠哉(ゆうさい)副住職、10分法話で初デビュー。頑張ってください。

アットホームな雰囲気裡、一緒に「礼拝儀」拝読、念仏の後同じテーマにて1時間。日頃の精進、勉強不足を痛切に感じる。至心懺悔。

諫早地区 柏原 寿美

25日 慶厳寺 40名
25日 安祥寺 休会

6月19日~20日と21回目のおてつぎ信行奉仕で総本山知恩院に登嶺しました。

引きつづいて6月25日、諫早慶厳寺への巡伝でした。来年は元祖法然上人八百年大遠忌の年であります。法然上人の流れを汲む者として総本山への憧れ、ご関心も又切なるものがあるとは思いまして始めに元祖大師をお偲び申し上げ其の広大慈恩と大遠忌を前にして総本山の現況などお伝えしました。

法話としては、『一紙小消息』の「罪は十悪五逆の者も生まると信じて小罪をも犯さじと思うべし。罪人なお生まる況や善人をや」(善人正機説)は他力門の旨を会得した者には理解出来るが、言い方がいささか奇妙であり信心のない者が見ると破法の恐れなきにしもあらず。

大正5~6年、旧都醍醐寺三宝院の宝蔵で醍醐本『法然上人伝記』が発見された。其の中に「善人尚以往生 況悪人乎事(口伝有之)」と。『上人つねに仰せられける御詞』「口伝を見ることなくして、浄土の法門を見るのは折角往生が得られるものを見失うものである」と。口伝とは悪人正機説であり之は法然上人の言葉だったのである、と。(時間不足で掘り下げ出来ませんでした)

慶厳寺様には御多忙の中、泊りのお手配、寺の中のご案内を下さいまして有難うございました。

筑後地区 川端 勝教

19日 浄源寺 休会
20日 浄土寺 18名
20日 浄福寺 8名
20日 竜川寺 休会
20日 摂化院 休会

朝倉路 さなえにぎわし 寺詣で

田植えの頃となり「山は青同じ 日はうらら 田には漫々慈悲の水 秋はみのらん無量寿を うたえ南無阿弥田植え歌」を思い出しながら お参りさせていただきました。

浄土宗宗歌「月かげ」。『観無量寿経』第九真身観文に「光明遍照 十方世界=つきかげの至らぬ里はなけれども 念佛衆生 摂取不捨=ながむる人の心にぞすむ」とおてつぎ致しました。

合掌

北九州地区 佐野 隆和

20日 大願寺 15名
20日 戸畑光明会 8名
21日 円応寺 14名

巡伝を受けて下さる会所は巡伝師よりもご苦労である。
金子みすずの詩を通して法を説く。

青いお空の奥深く 海の小石のそのように 夜が来るまで沈んでる 昼のお星は眼に見えぬ 散ったかれた たんぽぽの上に下にだまって 春が来るまで待っている 照る日強いその根は眼に見えぬ 照る日曇る日それぞれに生きぬく道を恵まれて 陰に不思議な力添え 眼には見えねどあるんだよ

眼に見えないから お陰様と云う(知恵と慈悲とに在す如来様)。お陰様に依り生き働あることえたる我は・・・。

筑豊B地区 辻本 良明

24日 西福寺 休会
24日 浄光寺 休会
25日 長安寺 20名程

今回の巡伝では長安寺様に初めて列車でお伺いし、普段とは違って見える景色に、列車の旅もまた良いものだと感じました。お寺にお伺いすると、長男さんご夫婦がお孫さんとともに京都から戻ってこられたということで、大変賑やかに出迎えていただきました。法話ではご参詣の皆さんのノリも良く、パネルシアターにも良く反応して下さり、笑い声ありの和やかな雰囲気の中で進んでいきます。『美しい眼の王子』の話をしながら、佐世保刑務所の新入教育で何人もの方が涙を流されていたことを紹介し、人は誰でも、出来ることならば美しく生きたいとの願いを持っていることをお伝えしました。「怨みをもって怨みは止まず。怨みなきをもってのみ止む」との法句経の言葉は、苦の連鎖を断ち切るということであり、事実に振り回されている自分に気付き、真実を見つける眼を持ちたいとの願いを持って生きる、それが光明生活であるとお伝えしました。

九州光明会布教研修会

花房 尚美

◇日時 平成22年6月2日(水)~4日(金)

◇会場 善光寺

◇講師 江角弘道上人 宮澤正順上人

◇ 25名

「死ぬるからだ」と「死なぬいのち」をテーマに江角先生より4回の講義がありました。
物理学者の先生が命について深く考えるきっかけとなったのが娘さんの死だったそうです。

まず童話などから「死」と「いのち」について読みとり、次に現代科学の視点からテーマにきりこんでいきました。

アインシュタインの特殊相対性理論により、物質とエネルギーは相互に交換可能ということがわかり、「世界はただのモノ(物質)でできている」(現代科学)と考えられるようになりました。そして光は質量のないエネルギーなので「世界は光でできている」ということにもなります。
物質=エネルギー=光
『無量寿経』にも、十二光仏についてや、無量寿国の様子が示され、“ひかり”から“いのち”ができたので「いのちの世界は多数のひかりで満ち溢れている」とあります。ここに現代科学の仏教との接点が見えてきます。

そして宇宙のはじまり、ビッグバンは、無のゆらぎ(対称性の破れ)からでた光(エネルギー)の爆発とされ、この対称性の破れこそが宇宙そして私達が存在できた根本理由ということになります。この「ゆらぎ」のお陰で、それぞれに区分・区別ができるかたちになってきましたが、物質と空間が分化したからといって、それは分離したというわけでないという事が大切なところです。(それぞれが離れた存在ではないということ)

分別性でなく、無分別性であるということになり(依他起性【因縁性】)、縁起法と通じるところと感じます。

科学は法身の世界に気づきはじめたともいえます。全体(神様・法界)の中に部分があり、部分の中に全体がある、全体と部分が同じになるという法の理論は、フラクタル構造と重なり、また場(電磁場)の理論、すなわち空間、空があって有がある、にも重なってきます。

現代物理学の主要な理論は、量子論と相対性理論の「相補的二重関係」で、これを「一方を否定すれば他方も成立しない、相互依存の関係(縁起)と解釈すれば、「死ぬるからだ」と「死なぬいのち」即ち、「見えるいのち」と「見えないいのち」の関係になります。

こうして江角先生の科学を通しての「いのち」と仏教との関係を聞かせていただき、大きく世界が広がった気がします。

他にもたくさんのお話をうかがいましたが、金田理事長の「至心に勧請す」では、霊応の常住する聖なる宮として聖意の指導をいただく、自我(エゴ)をすっぽり捨てて、宮として全く明けわたす、こうして、阿弥陀様におまかせすれば、何も心配いらないのだと感じました。

これからもただただお念仏にはげみたいと思います。 以下報告は金田恭俊)

宮澤先生からは「諸教所讃多在弥陀」をテーマに2回の講義がありました。テーマになっている言葉は、中国天台の中興と称せられる湛然の『止観輔行伝弘決』が出典です。法然上人の伝記である『源空聖人私日記』には、法然上人は『往生要集』に導かれて浄土教に帰したと説くのに対し、同じく上人の伝記である『本朝祖師伝記絵詞』には、この「諸教所讃多在弥陀」の妙偈によって回心したと記していることが示されています。阿弥陀様への信仰、南無阿弥陀仏のお念仏がこのように浄土教にとどまっていないことを示して下さり、とても勉強になりました。

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