光明の生活を伝えつなごう

九州支部だより

九州支部 平成28年8月

6月巡伝報告

《筑後地区》 大谷 決正

◇19日 浄源寺 休会
◇20日 浄土寺 25名
◇20日 浄福寺 10名
◇20日 龍川寺 休会
◇21日 摂化院 休会

 礼拝儀の中の「至心に勧請す」の中、〝霊応常住にわが心殿に常在して転法輪を垂れ給へ〟についてお話をさせて頂きました。お念仏によって如来様に照らされ、お育てを被る事を願うばかりです。

《福岡地区》 岩崎 念唯

◇15日 福岡光明会 休会
◇16日 正法寺 12名

 1年半ぶりの巡伝でした。四月の熊本地震について「諸行無常」の話をし、信仰を持っている人とそうでない人の物事の受け取り方の違いをお話ししました。無明の中に生きる身と光明生活に生きる身について具体的な例をあげて話し、十二光の中の炎王光によって障りが除かれることをお伝えしました。梅雨のさなかで朝は小雨でしたがお昼からのどしゃ降り中お集りの12人、熱心に聴いて下さり頭の下がる思いでした。

《佐世保地区》 多賀 学昭

◇22日 善隣寺 13名

 22日は長崎地区は大雨となり、佐世保でも早朝から雷を伴った激しい雨が断続的に降り続いた。そんな悪天候の中13名の方々が参詣されお念仏に精進して下さった。頭の下がる思いです。法話終了後JR佐世保線が全線不通になったため辻本光信上人のご長男淳応上人が、わざわざ車で雨の中を福岡空港まで送って下さった。片道2時間誠に有難く感謝に堪えません。例会のお勤めも全て若上人が取り仕切っておられ、御住職がそれを優しく見守っておられる光景を見て頼もしく感じた次第でした。

《諫早地区》 西 徹空

◇25日 慶巖寺 20名
◇25日 安祥寺 9名

 雨の中にも拘わらずお参りされた方々の熱心さに励まされてお話ししました。慶巌寺様の稲永上人は本当にいつもお忙しそうです。それでも一緒に一服のお茶を頂く間に、最近楽しんでおられるという落語の話から、米朝や枝雀の演目についても楽しい話を聞かせてもらいました。安祥寺様にお参りの皆様も打ち解けて、私も馴染みになったおかげで、気を張らず親密にお話させて頂きました。両会処とも真剣にお話を聞いて下さいます。それに応えられるよう聴きやすく、また内容のあるお話が出来るように勉強努力をしなければならないと思いました。

《北九州地区》 西 悠哉

◇20日 大願寺 25名
◇20日 戸畑光明会 休会
◇21日 円応寺 18名

 大願寺様 薬師堂での開眼法要のご縁を頂きました。縁起のコピーを見せて頂くなど、大願寺様の歴史の一端に触れることが出来有難く感じました。
 円応寺様 初めてご縁を頂きました。本堂の脇に併設されている幼稚園の園児が作った貼り絵の阿弥陀様が掛けられていました。何とも云えぬ良いお顔の阿弥陀様でこちらも自然と笑顔になりました。

《筑豊地区》 辻本 光信

◇23日 定禅寺 5名
◇23日 福円寺 16名
◇24日 種善寺 14名
◇25日 長安寺 30名

 巡回伝道は複数の会所を回るので、一席の法話も様々に工夫訂正していけるのが有り難いと思います。各会所共に会員の方々が参加したいという気持ちを起こさしめる様努力をされている様です。法話は、仏法の恩と身近な方々からの恩について、礼拝儀の〝至心に讃礼す〟を引用してのお取次ぎでした。

《大分地区》 岩崎 念唯

◇4日 善光寺 30名
◇5日 迎接寺 22名
◇6日 蓮華寺 40名

 6月4日今年の梅雨入り発表。雨の中での巡伝でした。東九州自動車道が開通しこれまで約6時間近くかかっていた宮崎―大分・宇佐善光寺間が3時間となり有難い事です。善光寺様では「一枚起請文」のお話をさせて頂き、信機・信法・お念仏の深まりが人格形成に繋がっていく事についてお話をさせて頂きました。迎接寺様は、田植えの時期にも拘わらず22名のご参加が有りました。今までで初めて5人のお父様方の参加があり、話に熱が入りました。無明から起こる惑と業苦…炎王光についてお話をさせて頂きました。蓮華寺様は約1年ぶりの巡伝でした。毎回感じることですが光明婦人会にご参加の皆様の清々しいお顔・お姿を拝見していますと、日頃からお念仏の生活をなされているとこうも穏やかな麗しい姿になり、優しい言葉使い・身のこなしが出来てくるものだな─と感心させられました。これまで長いこと巡伝に出講させて頂き毎月決められた日のお別時・お勤めがいかに大切かという事を身に染みて感じております。自分でも本年4月から第一日曜日の十時からお昼までお勤め・お別時が出来るようになりました。今は7~8名の参加ですが末永く続けて行けたら有り難いと思っております。

《聖恵病院》 金田 隆栄

◇24日 131名

 今回の巡伝に参りまして驚いた事は、会場が一段と広く参加の方々も多く、以前に比べて雰囲気が明るく清らかな感じがしました。正面には本尊の三昧佛様が有り、その横後ろには木造の美しい威厳のある聖観世音菩薩が安置されていて私はハッと致しました。今回の私の話のテーマは観音様です。私は嬉しくなりその観音様について色々とお話をさせて頂きました。

九州光明会布教研修会報告

西 徹空

 「九州光明会布教研修会」が6月21日・22日の2日間、豊前善光寺で開催されました。巡伝布教師を中心に25名の参加があり、活気のある研修と懇親の会となりました。しかしながら、将来の布教師を養成するための布教実演に、予定者の欠席が相継ぎ、1名しか実施できなかったことは真に遺憾でした。
 今回の研修会の最大の特色は、講師にカトリックの司祭である加藤智神父をお迎えしたことでしょう。遠路、埼玉県川越市よりお出で下さり、仏教徒の私たちに御講義下さったことは異例の恩寵と言うべきです。考えてみれば、此の度の研修会の実現は、故・河波定昌上人と加藤神父のお出会いに端を発しており、弁栄聖者の光明主義は大乗仏教とキリスト教の総合の上に展開したものであることを、常々お説き下さった上人の聖意が、今回こうして因縁の地に開花したものだと思われるのです。故・河波上人の御遺徳を今更ながらに有難く感じた次第です。
 加藤神父の講義は「往生と過越(スギコシ)」というテーマで四席お話し下さいました。講義の内容は古代ギリシャ・ローマ時代の哲学、神学から世親菩薩の『往生論』にまで広汎に及びましたので、全体を簡潔に纏めることは出来ませんが、印象に残った二・三点をレポートいたします。
 加藤神父は、カトリックは「ミサ一行」であるという表現を繰り返しなさいましたが、ミサ聖祭とは、キリストの最後の晩餐におけるパンとブドウ酒をキリストのいのち(ご聖体)として儀式的に再現する「行」であって、私たちをキリストと共に死から復活へ、此岸から彼岸へと「過ぎ越させて」くれるところの「往生」と同様の体験であると説明されました。
 次に法然上人が「三経一論」に纏められた一論の世親菩薩の『往生論』について、その内容が世親菩薩の往生体験そのものであることを指摘されました。世親菩薩は西北インドのガンダーラの生まれですが、当時のガンダーラは地中海に開けたアレキサンドリアと、ギリシャ語という共通の言語で密接に繋がっていました。それ故に、アレキサンドリアに関係が深いプロティノスやアウグスティヌスの神秘哲学、神学と世親菩薩が霊性的交流を持ったことが予想されて、浄土教とカトリックの「行」には共通する普遍的な根底があるというお話でした。
 それからこれは、故・河波上人もよくお話し下さいましたが、日本の茶道の所作はカトリックのミサに起源がある、というお話です。加藤神父は手近な茶器を使って、実際にパンとブドウ酒の儀式を披露して下さいましたが、お濃茶を飲む時の作法や茶巾の使い方がそのまま一緒でした。茶巾を三ツ折りにする仕方も、ミサと茶道に共通したものだそうです。
 更に感心したことは、お茶は「点てる」と言いますが、ミサを行うこともミサを「点てる」と同じ表現をするのだそうです。因に、司祭がミサを「点てる」わけですが、信徒の方はミサに「与る」、あるいはミサを「受ける」と言います。
 余談になりますが、キリスト教の中で、カトリックとプロテスタントの差異について、私は浄土宗と浄土真宗くらいの違いかと思っていたのですが、加藤神父のお答えは、「ミサを捨ててしまったプロテスタントは全く別のものです」と断言されました。
 加藤神父の四席の御講義に一貫するものは、「ミサ一行」とその普遍的神秘体験あるいは三昧発得と言ってよいのでしょうか。
 以上は私の「如是我聞」であることをお断りします。
 最後に、温かく和やかなお人柄で御講義下さり親密な御結縁を賜わった加藤神父に心より御礼を申し上げますと共に、宗教の形式を超えて光明主義が本来目指す霊性の心霊界へ一歩をしるす意義深い研修会であったことを御報告いたします。

(九州光明会機関誌「めぐみ」より転載)

徳林院「ひかりの集い」

佐野 成昭

 6月29日金田隆栄理事長の弟、佐々木隆昌師が住職される徳本行者の寺、大阪府豊中市徳林院主催にて前住職佐々木隆将元上首上人追恩法要の「光のつどい」が開催されました。午前中は、約10名、午後は約50名の出席者で行われました。
 この日の時間割は、10時半より維那、佐野成昭により朝の礼拝、念仏及びご住職導師のご回向があり、昼食後午後1時半から檀家さんが約40名程参加され、主催者の挨拶の後、勤行および、一席目金田上人のご法話、小憩の後、二席目3時より、旭堂南北師による講談が二席あり、4時に終了しました。
 そのご法話と講談は以下の様に受け止めました。

一席目「観音様について」
 三年前隠居した慈眼寺は、観音様の寺です。観音様は頭に阿弥陀如来様の像があるのは、観音様がいつも阿弥陀様を見て念じておられるからです。その阿弥陀如来様は、諸仏諸菩薩の中で最も尊く、慈愛とお光明でもって我々を育て守って下さいます。我々が阿弥陀様を観音様のように注目して心に宿しお念じすれば、現世において良いように良いように育ててくださいますし、命尽きればお浄土に行くことが出来ます。そこを法然上人が「月かげ」の歌で「ながむる人の心にぞすむ」と歌って下さっています。それが人の生きる最も大切な方法です。それには、一日一万遍二時間くらいお念仏しなさい。〈何かし〉ながら念仏でも良いので。観音様はいつもあなたの法友として守って下さり、あなたが念仏するとあなたが観音様のようになり、一回の念仏は一回の観音様、念々の念仏は念々の観音様になります。その例が、かつての内田さん親子です。その娘さんは体が弱くて成績優秀でしたが進学を目指しながら亡くなられてしまい、母は大変悲しんだ。回向された尼さんが、弁栄聖者にその母を合わせた所、その母が「私の娘はどこに行きどうしているのでしょうか?」と聞いた。念仏の功徳で観音様になった娘さんを聖者が描いて見せた所、顔が亡き娘さんにそっくりで驚いた。以後、お念仏を称えると娘に会えるので心安まったという母親の告白話が聖者十三回忌の時ありました。最後に徳本行者のお歌を披露し、強く強く阿弥陀仏様を信じて下さいとご法話を結びました。
二席目「鼓ヶ滝」の講談
 摂津の名所、鼓ヶ滝に来た西行の話。「伝え聞く鼓ヶ滝に来て見れば沢辺に咲きしたんぽぽの花」と歌を詠んで悦に入っているうちにあたりが暗くなってしまい、あわてて近くの民家に宿を借りる。
 そこに住んでいた翁、婆、娘の3人に、自作の歌を「音に聞く鼓ヶ滝をうち見ればかわ辺に咲きしたんぽぽの花」と手直しされてしまう。素人の口出しとはいえ、元の歌より良くなっているのは認めざるを得ず、西行は自分の修行の足りなさを実感する。ふと気づくと、あたりはまだ昼で、宿も何もない。西行は滝のほとりで、夢を見ていたのだった。実はこの3人は和歌三神の化身で、慢心した西行を戒めるために現れたのだったという内容です。
 また、もう一席、「夜もすがら検校(けんぎょう)」は、当代随一の平家物語の語り手、琵琶法師=僧、盲人の最上級の官名を検校と言い、そのお話です。江戸から京へ戻る道中、部下の裏切りにより山中雪の中に置いていかれた。助けたのは自分の仏壇を背負って夜逃げ中の若者だった。薪が無いので仏壇を燃やして温め粥を出してくれた献身的な若者のお陰で、検校は一命をとりとめた。数年後に京の検校を訪ねると、検校は最も大事にした琵琶を炉にくべてお茶を出す。物・金の世の中に、命の恩人にこころざしで返礼した。古き良き日本の美徳話だった。この話に皆は感銘した。私の住む山科には、この検校の平安時代の開祖、仁明天皇の子、人康(さねやす)親王開山により聖観音像を本尊とした十禅寺とその遺跡があり、毎年継承される法要と祭りがあるので親近感がある。

 この度金田理事長上人、ご住職と奥様、世話役の岩月様に心より感謝申し上げます。

合掌

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