光明の生活を伝えつなごう

九州支部だより

九州支部 平成29年2月

豊前善光寺、年頭別時の感想

二十三年目の年頭別時

八山唯念

 年頭別時に初めて参加したのは、二十三年前。元旦入堂から五日間を経ての満行を迎えた朝に、達成感と共に尋常ならざる感動を覚えたことは、二十三年後の今も忘れることは出来ない。その後、忘れ難いまま年月を経て、数回の参加をさせていただいたのだが、生来の怠け性に抗えず、五日間通しての念仏三昧はついぞ果たされることはなかった。
 昨年、得度を受け、「唯念」を授かり、それ以来、自分なりの念仏行を日々に勤しんでいる。そうしたこともあって平成二十九年の年頭別時への参加は早いうちに計画を決定、今年こそは是が非でも元日からの参加を果たしたいと強く欲していた。
 しかし、今年の年頭別時「諸般の事情あって二日より開催」との報を知り、一旦は落胆した。が、諦められず、ならば大晦日に「除夜の鐘」を撞かせていただこうとの案を決行、元日の前日に善光寺入りをした。
 元日午前五時入堂。菅野上人の大木魚を打つ音が静寂の中に響く。それを合図のように、ご近所の方も参加されて新年の念仏三昧が「ダッダッダッダ…ポクポクポク」と始まった。
 二日午前五時入堂。この日は菅野上人と二人きりの念仏三昧。菅野上人に小生の念仏行の伴奏をしていただいているかのように思え、不遜な錯覚に恐縮を覚えた。
 夕刻から年頭別時会の入堂開式。念仏者が参集する。これまでの年頭別時会に比べて参加者が少ないように思えたのは小生だけなのだろうか?
 三日を過ぎて四日目の昏暮の礼拝を終えてのことだった。国宝堂にて念仏を唱えていると後方で「唄うような声」が聞こえてきた。幻聴なのか?との疑いは時間の経過とともに確信に変わった。密やかではあるが、大木魚のリズムに同調し、確かにメロディにのって念仏が唱えられている。そしてその唄は終了を告げる大木魚が打ちならされるまで続いた。
 入浴を待つ時間に「唄う上人」と炬燵を同じにした。失礼を省みず「とてもユニークなお念仏を唱えていらっしゃるが、どのような意図があってか?」と尋ねた。唄う上人曰く「皆さんと同じに唱えているつもりですが、時々に普段の癖がでることがあります。念仏は唄うように唱えなさいと教えられましたから…」。
 その夜は念仏行について「唄う上人」にイロイロ学ばせていただいた。念仏の歴史には踊る念仏さえあるのだから、唄う念仏は決して異端ではない。念仏を唄うように唱えてもOKなのだとの認識に至っては目からウロコ…唯行でしかなかった念仏が一変し、自由に唄うように唱えれば面白く念仏を楽しめるのでは?に至った。
 最終日の朝の念仏行で早速の実践を試みた。三拍子のリズムは崩さずに「ナ・ム・ア・ミ・ダ・ブ・ツ」を自分だけのオリジナル・メロディにのせれば他の人の念仏がバック・コーラスになりハーモニーさえ奏でる。木魚の打音はリズムを刻み、合唱効果も楽しめた。二時間半は瞬時に過ぎ去り、その間は唄い続けた。念仏ソングシンガーであった。
 今年の年頭別時への参加者は決して多数ではなかった。が、その人々と共に奏でた小生だけの密かな念仏セッションは、念仏の新境地であった。
 国宝堂という特別な空間によって醸し出される「念仏ミュージック」は同伴者とのコラボレーションであり、年頭別時会における新たな楽しみとなった。早くも来年が楽しみである。

 平成二十九年一月六日 帰路の船中にて

(九光『めぐみ』誌転載)

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