出典『ミオヤの光』二巻三号十九頁『縮刷版』一巻七十二頁
最後の御説法
原 吉郎
大正9年12月1日、お上人様のご病苦も少し薄らぎ、すやすやとお眠り遊ばされたるご容子を拝して私は不得已所用の為一寸帰宅致しました処、俄に疲労を感じまして午前6時まで前後不覚に熟睡致しました。今や眠りまさに醒めんとせる一刹那、半醒半睡の間に全身真綿にて包まれし如く暖かに、精神殊の外爽快なるを覚え、眼を開きて四方を眺むれば、紺碧の天空際涯なく無限に展開し、皎々たる二つの大なる明星左右に分かれて遙かに輝けるを見るのほか、さらに一物の認むべきなし。
忽ちにして正面の中空に五彩の雲(方二十畳位)棚曳きその中央に等身大の尊影を拝しました。真に尊く有難く無量の感に満たされまして暫く拝跪合掌して称名致しておりますと、どこともなく美妙の音楽が聴こえます、徐に頭を挙げて親しく尊顔を拝しますと、それはお上人様であらせられます。お姿や服装は平生の如くで、ただ一層端厳清浄であらせられ、円光徹照して経三四尺位の蓮台にお立ちあらせられます。微笑を含み慈眼を垂れて私をご覧になっております。周囲には十人余りの菩薩方が端正微妙の僧俗男女のお姿をして、何れも小なる円光を輝かし金蓮台の上に立っておられます。
而して皆自分のお知り合いの方々の様に想われました。余りのお懐かしさに自分もお側へ参りたいと思いましたが、どうしても近づくことが出来ません。霊雲は次第に昇天致します。と夢みて茲に全く覚醒致しました。
醒めての後身は猶この光景中に在るが如き心地板祖暫時喜もなく悲もなく思うことも考うる事もなき状態にありし間に、何となくお上人様は如来の聖意に依りて最早この世界のご化導を止められ、更に上天の別世界においてこれよりご伝道遊ばさるるのであると感じが致しました。
噫々お上人様は近く、我々をこの世界に残してお涅槃遊ばさるるのではなかろうか。未だ十年や十五年は何時でも慈顔を拝して親しくご教化を預からるると思いおりしに噫々。
こんな事なら平生もっと熱心にもっと真面目に修行するところであった。思えば貴き平生のみ教え、嗚呼実に有難い辱けない次第、それに就いても自分の信仰の未熟なるは誠に何とも申し訳ない次第である。
今お上人様に離されては実に困る。併しまだ絶望したものではない。ご平癒を祈る皆様の献身的至誠は仏天もこれを憫み給いて、たとえ永が延からるることありとも今一度はお回復遊ばさるるかも知れぬ。と種々に思いまして早速ご看護に極楽寺へ罷り出ました。
同夜十一時過ぎ頃、籠島夫人、拙者及び家内等を共にご看護申し上げておりますと、ご病苦の中よりボツボツと有難きお話があり、皆の手を交わる交わる握って、
何時迄も離れない、死んでも離れはせぬ。
と仰せられ、皆は万感胸に迫り不覚暗涙を健しました。最後に
如来は一切を生育し給うその中に安らかに休ませて頂く我は誠に幸福である。
前の林でも向かいの山でも美しき天でも海の音でも峯の松風でも谷の響でも皆悉く如来の為さしめ給い如来の赫々たる大光明に照らされて在るのであるから、その中へ身も心も全く投げ入れて至心にお念仏を申せば自然に如来の聖意と吾が心とが融合一致する。これを善導大師は無為三昧楽と仰せられた。
と御聞かせになりました。