光明の生活を伝えつなごう

聖者の偉業

聖者の俤 No.43 乳房のひととせ 上巻 三月別時(講話の筆記) 3

乳房のひととせ 上巻

中井常次郎(弁常居士)著

◇聞き書き その四(三月別時講話の筆記) 〈つづき〉

第四日 第十八願

如来より与えられる賜物を受入れる時の心得を述べる。真言宗では、これを千七百の図で表す。如来の心と、吾が心とを合一させねばならぬ。四十八願を略説せば、

摂取の願。如来の光明と寿命の無量なる事を、諸仏は証明しておられる。四十八願は皆、衆生の為である。親の養育を受けると、子は終に親となる。信仰に入り、光明に照らされると、心眼開かれて、何事も知らざるなく、能はざるなき完全円満なる仏となる。

天眼は十方世界を見る。天耳は十方世界の声を聞く。天鼻、天舌、天身等皆同様。

宿命通が開けると、時間の障りが除かれる。

心に相応した相を現すものなれば、人間の心ができると人間として相を現す。即ち人界に生まれる。草木も同じ事である。草の種の中には、草は無いけれども、草になる精神が有るから、草となる。米が実るように、人もこの世で生活している間に、次に生まれる種即ち心が定まる。吾等は浄土に生まれる種を育てねばならぬ。されば毎日の日暮らしは大事である。

四十八願は皆結構であるが、第十八願は、往生の種を育てる方法を示された大切な願である。

成仏ほど、しやすい事はない。法性より与えられたものを、正しく使えば、自然に成仏する。地獄に堕ちる為には、夜も眠らずに、盗みをしたり、命がけで人を殺すなどの罪を造らねばならぬ。それは、なかなかむつかしい。まっすぐに、大み親の命に従う様に教えたのが第十八願である。

信とは、如来を信じ、総てをお任せして、み心のままになる事である。自分の汚れた心を如来に献げ、如来の浄き心を頂く事、如来を信ずれば、この取替えができる。

愛とは、きれいという上に、うま味がほしい。そこに愛がある。真実は容器の如きものである。甘露を受けるにも、容器が悪いとなかみを保つ事ができない。至誠心は天真なる心、偽らざる心である。如来は全く真実である。聖人にも偽りが無い。純なる霊性の人には偽りが無い。また、下等動物にも偽りが無い。理性と動物性とを持つ人間に偽りがある。動物の偽りは自然の保護の為である。人の偽りは造り事である。人は財欲、名誉欲のために偽る。人間にはうそがあり、動物にはうそが無いから、動物の方が偉いかというに、そうでは無い。人間はうそをいう能力あるだけ、動物よりも進んでいるのである。人は他人を偽る前に、自分の良心を偽っている。偽りは自重心が無いから起こる。自分を偽らぬ人は聖人に近い。至誠心は容器の如きものなれば、その内容が立派でなければならぬ。

第五日 第十八願の続き

誠は心の容器にして、信と愛と欲との三心は内容である。
至心に深く信ず。自身は罪悪の凡夫。出離の縁なし。如来は大願力を以て、衆生を摂取し給う事を信ず。
至心に深く愛楽す。如来は無上の慈悲を以て、衆生を愛し給う故に、われらは、すべてに越えて、如来を愛し奉る。
至心に深く欲望す。善と美との世界に生まれて、聖なる世嗣とならん事を。また、総てと共に安きを得ん事を。
第十八願は四十八願の精髄である。如来の世嗣となるには、娑婆にある間に、その資格を作って置かねばならぬ。下品下生でも、死ぬ前に、善知識に遇って、十念すれば浄土に生まれるけれども、十二大劫の間、花開かぬ。浄業成りて後、花開く。下品の浄土に生まれてはひまどる〈時間がかかる〉。即ち永く蓮華の中に閉じ込められる。娑婆では心が研き易い。生まれながらの人は、汚と暗と悩と罪とを持っている。人間は生まれながら完全ならば、宗教の必要がない。信仰の無い人は、自分の汚れを知らぬ。自分の無智なる事に気がつかぬ。人間以下の下等動物は、心を研くに及ばぬ。しかるに人の心は、研けば光る玉のような貴いものなれば、手入れをせねばならぬ。ダイヤモンドは灰で研けぬように、人の心の奥にある霊性は、倫理や道徳の教えでは研けぬ。宗教に依らねば、霊性は開けぬ。道場に籠り、一心に念仏せねばならぬ。

人に霊性ある事を疑う者がある。それはまだ心が研けていないから、わからぬのである。念仏して、心が研けると、霊性の有る事が知れる。
黒皮の鉄の面に、顔は映らぬけれども、研けば映る。人の心の黒皮は業障である。
知識の幼い者ほど、悩みは少ない。それは時間的にも、空間的にも、感ずる事が少ないから、悩みも従って少ないのである。
法律の罪と、宗教の罪とは違う。法律は形に現れた罪を罰するが、宗教は外に現れずとも罪になる。まむしは人にかみつくから悪いのではない。元来悪い奴であるから、かみつくのである。凡夫が悪い事をするのは、悪い事をする性分を持っている為である。悪い事をせぬのは、させる機会が無いからである。油断すれば、有漏の煩悩は、いつでも罪を造る。宗教に因って、知情意を研けば、人格は立派になる。霊的活動ができる聖人とも成る。

〈つづく〉

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