光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

行者発熱の文 6 如来の温熱


 如来の慈愛の温熱は人をして寒慄せしむる畏怖にも憂悲苦悩のなかにもその心情を融和して而して安穏と歓喜とに美化せしむ。
 麗かなる春の和き温き霊気に霊酔せばいつしか憤怒、恨戻、嫉忌、復讐、などのすべて〔の〕害他的の悪しき動機は麻痺して而て温和、同情、博愛、同喜などのすべての愛他の心情起るならむ。若し人、一たびこの大なる慈愛の浩気に呼吸せる霊き生活を経験せんか、この霊気を離れたる妖霧魔塵の万丈なる大気の生息は実に耐えざる所なり。吾人は謂う、如来の慈愛なる親縁を離れて肉のみの生活はいかに長き寿も欲せざる所なり。


現代語訳

 如来様の慈愛の温もりは、人が身震いする恐怖や心配事、そして苦悩の中であっても、その心情を癒やし、安らぎと歓びの心に、美化してくださいます。
 麗らかな春の〔ような、如来さまの〕優しく暖かな光明を心に頂いたのならば、いつの間にか怒り、恨み、嫉妬、復讐などの、すべての害他的な悪意の心は麻痺します。そして、温和、同情、博愛、同喜などの、他を愛するすべての心情が起こって来るのです。もしも、一たびこの大いなる慈愛の光明を、心に頂いた生活を経験したならば、この〔光明の〕霊気を離れた〔今までの〕怪しい霧と魔の塵の充ち満ちた大気での生息は、とても耐えることができません。私は、如来様の親しき光明を離れた、ただ肉欲のみの生活であったならば、長い命を欲しいとは〔全く〕思いません。

解説

 肉欲の生活に没頭している私達にとって、光明中にある弁栄上人の強いメッセージ「如来の慈愛なる親縁を離れて肉のみの生活はいかに長き寿も欲せざる所なり。」に衝撃を憶えます。早くこの光明に触れたい、極楽(聖きみくに)へ往きたいとの思いを促して下さっています。

出典

山崎弁栄上人『光明の生活』「親愛」初版五頁、改訂版一七頁より

掲載

機関誌ひかり第704号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」
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