光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

発熱の文 13 至心に帰命す


法身 報身 応身の 聖き名に帰命し奉つる 三身即一に在ます最と尊とき唯一の如来よ 如来の在さざる処なきが故に 今現に此処に在ますことを信じて 一心に恭礼し奉つる 如来の威力と恩恵とに依て 活き働らき在ことを得たる我は 我身と心との総てを捧げて仕え奉らん 冀わくは一に光栄を現わすべき務を果す聖寵を垂れ給え


現代語訳

真実の心をもって〔如来さま〕に我身と心とのすべてを捧げてお仕えいたします。
 〔宇宙とそこに存在するすべての根源である〕産みの如来さま、〔智慧と慈悲の光明によって摂め取り活かしてくださる〕救い育ての如来さま、〔人の身をもって道を示すお釈迦さま、すなわち〕教えの如来さま、〔その三身の如来さまとすべての徳と不離である〕聖なるお名前〔南無阿弥陀仏〕にすべてを捧げてお仕えいたします。三身が一体でいらっしゃる、最も尊く、唯一の如来さまよ。如来さまの在さない処はないのですから、今現にここに在すことを信じて、一心につつしみ敬って礼拝いたします。
 如来さまの威力と恩恵とによって、私は〔肉体的にも霊的にも〕活き働らき存在することができているのですから、私の身と心とのすべてを捧げてお仕えいたします。ただ切に念願することは、〔如来さまの〕光明によって育まれたこの心の栄えを、ひたすら普段の〔行為と言葉によって〕現していくべき〔であると心得、そのような〕務を果すことができますように、聖なる恵みをお与えくださいませ。

解説

◆参照した弁栄上人の御遺稿
①至心―
『御慈悲のたより』中巻二三七頁に「至心とは、導師〔=善導大師〕は真実心と釈し、真実心は、もと仏性として自己の根底に潜みておるけれども、我という迷いに覆われて、人は虚仮雑毒の非真理なる心となれり。今、弥陀の聖名によりて、我の迷いなることを覚りたる時、真実心と引き換えてたまわる。あなたの聖旨は純粋なる真理のみなれば、我を捨て、聖旨に随う時、真実心は現われるのである。」と。
②帰命―
『光明の生活』初版三三七頁に「自己の罪悪を恐れ自己の無力を認め、絶対の実在者を信じて己を献げて、信頼する心を帰命とす。帰命とは自己の生命を献げて救を求むる義なり。」と。
③三身―
『御慈悲のたより』上巻二六〇頁に「法身としては天地万物の法則の本体にして日月星辰地上の万物悉く法身の法則に依りて生れ活き即ち活かされ居り候。現に我れ人が活きつつあるは全く法身の則りとみ恵みとに依るものにて候。故に是れを産みのミオヤと申候。 報身としては法身より受けたる我等が仏性は鶏の卵の如くにて仏と成るべき性は持って居るものの只独り手に仏になる事は出来ぬ。報身の智慧と慈悲との光明に摂められて、我等一心に念仏すれば、摂取の光明は念仏衆生の心を温めて、遂に卵の孵化する如くに信心の眼鼻が付きて霊に活きる信仰となり申候。 応身、人類に応同して此土に出で給る釈尊にして、釈尊は浄土に在す報身如来より身を分けて人間の身を以て我等に教を垂れ給うミオヤにて候。 此の三身は本一体にして私共の此の体を活かし下さるのは法身仏にして、我等の心霊を復活せしめて永遠に活ける仏として下さるのは報身仏にして、其の真理を教て下されしのは応身仏にて候。」と。
④光みさ栄かえを現わすべき―
『人生の帰趣』初版四五七頁に「我らは聖名を称えて聖旨の現われを仰ぎ霊光に触れて初めて霊に活きることを得ん。而してのち霊化の光栄を身に口に現すように為てミオヤの聖寵に報い奉るべきもの」と。
⑤不離―
『ミオヤの光』縮刷版二巻三九四頁に「名体不離なるが故に、阿弥陀と云名は即ち阿弥陀仏の体〔=三身〕を詮するなり。然れば則ちこの名号の中には自ら阿弥陀仏にそなわらせ玉う万徳悉く離れざるなり。」
⑥肉体的にも霊的にも―
『炎王光』二十六頁に「如来の威力と恩寵により生活するにまた二つあり。自然にうけ得たる身と心との生活は、如来の法身の力と恩とにて、天地と共に生活活動するので、信仰の中に心霊が霊的活動するは報身の力と恩とによる。」と。

◆備考
この「至心に帰命す」については、『炎王光』二十三頁「献身」に、弁栄上人の詳細な解説があるのでそちらも参照しました。
◆編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者のご法語をここで紹介していきます。
今月号から、『礼拝儀』の現代語試訳を作成していきます。他の弁栄上人の御遺稿(左記)を参照し、〔 〕によって加筆しつつ作成しています。今後、より正確な現代語を作成する叩き台となれば幸です。 

出典

『礼拝儀』、『炎王光』二十三頁「献身」

掲載

機関誌ひかり第711号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」
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