至心に回向す
至善に在ます如来よ 我らは曾て心闇くして如来の在ますことを識らざりき 然るに如来の大悲招喚の声に驚きて 至心に如来に帰依し奉れり 願くは我らを無限の光明の中に永遠の生命を与え給え 又願わくは上は如来の聖寵を被り 下は一切の同胞に聖寵を頒つことを得しめよ 又我等を悪魔の誘惑よりさけて聖き道に向上むことを得しめよ また聖意を世の同胞にしらしめて聖きみ光の中に共に安寧を得んことを希がい奉つる
現代語訳
真実の心をもって〔善行の功徳をすべて次のことに〕ふり向け、その実現を希望致します。完全なる善を備えていらっしゃる如来さまよ。私たちは今まで心の闇が深く、如来さまの在すことを信じ実感することができませんでした。しかし、〔私たちを導き下さる〕如来さまの大いなるお慈悲〔より発せられる〕招喚の声に驚いて、真実の心をもって如来さまを信じお慕いすることができるようになりました。〔今、如来さまに〕お願い申し上げることは、私たちを無限の光明の中へと導き、永遠の生命を与えてくださいませ。また、さらにお願い申し上げることは、上は如来さまの聖なる導きを頂き、下は如来さまの子である全ての人々に、聖なる恵を伝えることができるよう力をお与えくださいませ。また、私たちを悪魔の誘惑から守り、聖き道に向上できるようにお導き下さいませ。また、〔如来さまの〕聖意を、世の中の同胞に伝え、聖きみ光の中に、共に安寧なる〔生活〕の実現を切に希望致します。
解説
①大悲招喚の声―弟子の田中木叉上人の法話に「霊応が頂けたら、声に仏を感じる。説明じゃ駄目、実感だ。自分の声の中に、大悲招喚の声を聞く。」(『田中木叉上人御法話聴書』冨川編一三六頁)とある。田中上人が「説明じゃ駄目」と述べているのと同様に、弁栄上人の御遺稿の中に、この声に関する説明は皆無である。念仏の中に実体験するしか道はない。②上と下―「至心に回向す」には、「上」と「下」とでてくるが、これは上求菩提下化衆生を指す。自ら悟りを求めて向上を願うのが上求菩提、そして広く縁のある方々を仏道に導きその喜びを伝えていくのを下化衆生という。ここではそのような仏教の専門用語を使わずに、平易にその心を説いているのである。光明主義者の使命、仏道(菩薩道)を歩むものの使命はこの「上」と「下」の内容に尽きる。
③悪魔―生命を奪い、また仏道を妨げる者のことであり、仏教では四種類の悪魔、四魔を説く。すなわち煩悩魔・五蘊魔・死魔・天魔。煩悩魔は、身心を悩ます貪りや怒り愚かさなどの煩悩のこと、五蘊魔の五蘊は色受想行識のことで物質的・精神的五つの要素。その五つに感染する悪魔。死魔は死そのもののこと、天魔は正しい道(仏の道)に進むことを妨げる誘惑をいう。五蘊魔については『不断光』「悪魔」一二八頁に詳述されているが一例を挙げると五蘊の内の想には感情が含まれるとし、幸福を願い快楽を願うのも感情、如来の慈悲を喜ぶのも感情であるが、この悪魔に感染すると、他人を悩まし苦しめることを喜ぶようになると解説されている。また、人は弱きものでとても危うい。だからこそ、如来の光に頼るべきであることを説いている。
出典
『礼拝儀』掲載
機関誌ひかり第716号- 編集室より
- 行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
- 現代語訳の凡例
- 文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
- 付記
- タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」