吾人如来を愛し真実に愛する時は、どうしても彼と離れようとは思われぬ。どうしても彼を断念することはできぬ。たとえ死んでも彼と離れられぬ。彼とならば共に地獄に陥入も甘んずる。真実に弥陀を愛する心念が、すべてに超て強からば身命も惜くない。彼が為にならば如何なる苦も甘んずる。彼と共ならば地獄の中に入るとも内心に楽みあり。
真実に愛する彼はすべてに超て美しく見ゆる。彼は善である、美である、真である。真実に彼を愛する心ならば、如何にして彼を悪るく思われよう、うそと思われよう。愛する我は彼をすべてに超て、吾人がすべてに超て愛する彼は、世のあらゆる凡ての物よりは美しい。常に彼と共に居るほど楽しい事はない。?
現代語訳
私は如来さまを愛し、真実に愛するときは、どうしても如来さまと離れようとは思えません。どうしても如来さまを念うことを止めることはできません。例え、死んでも如来さまと離れることはできません。如来さまとならば共に地獄に落ちようとも甘んじて受け入れます。真実に如来さまを愛する心念がすべてに超えて強ければ、身命も惜しくはないのです。如来さまのためならば、いかなる苦しみも甘んじて受け入れます。如来さまと共ならば地獄の中に入ったとしても内心に楽しみがあります。真実に愛する如来さまは、すべてに超えて美しく見えます。如来さまは善であり、美であり、真であります。真実に如来さまを愛する心があるならば、どうして如来さまを悪く思われましょう。うそと思われましょう。私がすべてに超えて愛する如来さまは、世のあらゆるすべての事物より美しいのです。常に如来さまと共にいることほど楽しい事はありません。
解説
出典
『御慈悲のたより』上巻十五頁、『ひかり』六八九号、(平成二十八年六月号)「新発見光明資料 六」掲載
機関誌ひかり第720号- 編集室より
- 行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
- 現代語訳の凡例
- 文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
- 付記
- タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」