光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

発熱の文 35 何の為に?


 人間は何の為に生れて来たのでしょう。食うては寝て、寝ては起き、毎日毎日同じ事を繰り返し繰り返しして、しまいにはどうなってしまうのでしょう。年は暮れても、また新しい年はくりかえして改めて来る。我々のからだはどうなってしまうのでしょう。
 世間の人はどう思うて日々暮して居るのでしょう。唯々貪瞋ぼんのうの為に暮してしまって、「自分は何の為に生れて来たのでしょうか、遂にどうなってしまうのでしょう」などというような人生問題などと云うものを自分で自分の目的が何とも思わぬのでしょうか。是れ程、人生の一大事の事はないのに、それには一向無頓着で、ほんとうに一休和尚のように悟っていて、己の大事もへちまもかまわでいるかと思えば、なかなかそうではなくて、胸のうちには一寸も休みなしに、それからそれへと、心はあせって、而してもだえているのである。
 天地から借りた借物であるからだを全く自分のものと決めこんで、おれがおれがと寝ても覚めても、おれがにほだされて、己の身の上をかえり見で暮している。(中略)流行感冒で若い人が死んだと、聞いても死ぬという事はよその人にばかりあるので、自分の身にはまだまだ千年も後のように思うている。全体人間は何れから出て来たので、いかにしたならば真理にかなう人生を果すことが出来るでしょうと思わで、ほんとうに闇きより闇きに入ってしまうものばかりである事を思えば、実にかわいそうでたまらぬ。それでも其人々の心の底には、大オヤ様から与えられた処の仏性という浄い浄い尊い尊い金剛石よりも尊い霊の玉を持っている。然るに、ちっとも貴重な宝石とは見えぬのである。
 さてここで折角の人間に生れても、天地万物のあらゆる仏や神の大本の大ミオヤを知らで、人生を空しく過すことがいかにも気の毒でたまらぬ。どうかして、すべての人々に大ミオヤ様を知らして、ミオヤの光明の中に、おや様の光明に依りて、きよき人によみがえり、人生を永遠にまで、光明に依りて活ける真の人々にせん為に、即ち光明会は大オヤ様の聖旨を世の人々に知らしめん為に、世に出たのである。


現代語訳

解説

一休和尚―この文面は、一休禅師の歌「世の中はへちまの皮のだん袋 底がぬければ穴へドンブリ」や「あら楽や虚空を家と住みなして 心にかかる造作もなし」を伝えているのであろう。

感冒―呼吸器系の炎症性疾患の総称。インフルエンザや風邪など。この文面の場合、一九一八年(大正七)から世界的に大流行したスペイン風邪の可能性がある。
 
光明会―二度も「たまらぬ」と消極的動機を述べられ、光明会設立への強い意志が伝わってくる。
 本書簡は宛先だけでなく日付けも不明であるが、「光明会」との名義があれば大正三年以降の書簡であると高い確度で推定できる。

出典

『御慈悲のたより』上巻「百八」 205頁以下より。この書簡は、文面より在家宛の書簡と推定。

掲載

機関誌ひかり第735号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」
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