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発熱の文

発熱の文 37 病気は善知識


きみよ、いつでも大ミオヤの、大きな広い広い慈悲の懐の中に在るということをおもい給え。而して病気のことを思い出したならば、直に「なむあみだ仏、なむあみだ仏」と称えて、「おやさま守り給え」と祈りなされよ。
 むかし永観律師と云高僧は、天子さまの御戒師に成りなされた御方であったけれども、平生御病身であった。それにつきて自ら言いなされた。「病は善知識である。全く自分の信仰の強く発ったのは病気の為であった。故に為に無量永劫助かる心の発りしも、病気の故とおもえば、病気も恩寵である」と云われしことぞ。とまれ本とうに御すすめ申します。一りの大ミオヤをいただく、きよき同胞のかつ子のきみよ、つねに「おやさま、おやさま」としたはしきことばを以て、大ミオヤをよびて、したしくたのみまいらせて候え。


現代語訳

きみよ。いつでも大ミオヤ〔である阿弥陀如来〕の、大きな広い広い慈悲の懐の中に在るということを想ってお過ごし下さい。そしてもし、病気のことを思い出したならば、直ぐに「なむあみだ仏、なむあみだ仏」と称えて、「おやさま、お守り下さい」と祈りなさいませよ。
 昔、永観律師という高僧は、天子さまの御戒師に成りなされた御方であったけれども、平生、御病身でした。そのことについて自ら仰いました。「病は善知識である。全く自分の信仰が強く起こったのは病気の為であった。永遠に救わていく信仰心が起こったのも病気〔という善知識〕の導きと思えば、病気も恩寵である」と仰ったのですぞ。とにかく本当に御すすめ申します。一人の大ミオヤを〔心の本尊と〕いただく、清き同胞のかつ子のきみよ、つねに「おやさま、おやさま」と慕わしきことばによって、大ミオヤをお呼びして、慕わしくお頼み下さいませ。

解説

①「永観律師」―1033~1111、平安時代後期の三論宗の僧、深く浄土教に帰依。永観堂の阿弥陀如来(みかえり阿弥陀)が師に「永観遅し」と声をかけられた伝承で有名。

出典

『御慈悲のたより』上巻73頁、『ひかり』平成31年3月号6~7頁参照。福岡県島田家宛の書簡。

掲載

機関誌ひかり第737号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」
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