光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

発熱の文 38 すべてを任す


只々御勧め申候事は、どうぞすべてを大ミオヤに御任せ申上て、常に大ミオヤを念じ、大ミオヤはいつも離れずあなたの真正面に在まして、慈悲の面をむけて母の子をおもうごとくにまします。あなたは其のみをおもうて専らにしてまた専らなる時は、だんだんと心が統一できて、あなたの心はみだの御慈悲の面にうつり、御慈悲の面はあなたの心にうつり、而するとそれがだんだん深く入るに随がいてあなたのこころはなくなって、只のこる処は御慈悲の如来さまばかりと成候。而して寝てもさめても大光明中にある身なれば、それをも寝てもさめても大光明中ということを毫しもわすれぬようになされ候ように御すすめ申進じ候。娑婆のいのちはかぎりあり、たとえ百歳の寿をたもつとも必ず去らねばならぬ世の中、而して百歳の寿をもつとも、若しも無量光なる無量寿の中に生るる精神にならざれば何の所詮もなき事にて候。
 たとえ地球上に満らん宝よりは、最も貴重なる宝は精神に得る弥陀の光明に依てみがかるる心霊の珠にて候。すべてに超て慈悲のふかきみおやの、あなたの真正面に常に在まして、慈悲の御むねに在るあなたに注ぎ給うことをわすれ給うな。すべてを大ミオヤに任せ候え。


現代語訳

ただただお勧めすることは、どうぞ〔病苦や往く先のことなど〕すべてを大ミオヤ〔であられる阿弥陀如来〕にお任せし、常に大ミオヤを念じて〔下さい。〕大ミオヤはいつも離れることなく、あなたの真正面に在まして、慈悲の御顔を〔あなたに〕向けて、母が子を想うように〔見守り導き〕下さっています。あなたはそれのみを想って常に常に〔南無阿弥陀仏と念ずるときは〕、だんだんと心が統一できて、あなたの心は弥陀のお慈悲の御顔にうつり、お慈悲の御顔はあなたの心にうつる〔のです。〕そうすると、心の統一がだんだん深くなっていき、それに随って、あなたの心は無くなり、ただ残る処はお慈悲の如来さまのみとなるのです。ですから、寝ても覚めても、大光明の中にある身なのですから、〔如来さまを念ずることと共に〕寝ても覚めても大光明の中ということをも、少しも忘れないようにお勧めいたします。娑婆の命は限りがあり、たとえ百歳の長寿を得たとしても必ず去らねばならぬ世の中〔なのです。〕そして、百歳の長寿を得たとしても、もし無量光である無量寿の中に生まれたる精神を得ることが無かったならば、なんの意味もない〔人生と〕なるのです。
 地球上に充ちた〔宝石などの〕宝を得るよりも、最も貴重な宝は、精神に得る弥陀の光明によって研かれた心霊の珠なのです。最も慈悲深き大ミオヤが、あなたの真正面に常に在して、慈悲の御胸の中に抱かれているあなたに、〔視線と光明を〕注いで下さっていることを忘れてはいけませんよ。すべてを大ミオヤにお任せしなさい。

解説


出典

『御慈悲のたより』上巻47~48頁、『ひかり』平成28年1月号16~17頁参照。福岡県田代皓月様宛の書簡。その皓月様の悩みに対するお返事。

掲載

機関誌ひかり第738号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」
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