光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

発熱の文 44 光明会


 流行感冒で若い人が死んだと聞いても死ぬという事はよその人にばかりあるので、自分の身にはまだまだ千年も後のように思うている。全体人間は何れから出て来たので、いかにしたならば真理にかなう人生を果すことが出来るでしょうと思わで、ほんとうに闇きより闇きに入ってしまうものばかりである事を思えば、実にかわいそうでたまらぬ。それでも其人々の心の底には、大オヤ様から与えられた処の仏性という浄い浄い尊い尊い金剛石よりも尊い霊の玉を持っている。然るにちっとも貴重な宝石とは見えぬのである。
 さてここで折角の人間に生れても、天地万物のあらゆる仏や神の大本の大ミオヤを知らで、人生を空しく過すことがいかにも気の毒でたまらぬ。どうかして、すべての人々に大ミオヤ様を知らして、ミオヤの光明の中に、おや様の光明に依りて、きよき人によみがえり、人生を永遠にまで、光明に依りて活ける真の人々にせん為に、即ち光明会は大オヤ様の聖旨を世の人々に知らしめん為に、世に出たのである。若し大ミオヤの光明にあいて、心霊が卵のように信仰の目鼻がついてくれば大なる親様の御めぐみを被りて、日々にありがたく楽しく日暮しをする事が出来る。


現代語訳

 スペイン風邪によって若い人が死んだと聞いても、死ぬという事は他人の事であるので、自分の身に〔死がおとずれるのは〕千年も後のように思っている。いったい人間はどこから生まれてきて、〔また〕どのようにしたならば真理に適った人生を果すことができるのか。〔そのような人生の問いを〕解くことなく、本当に闇き〔生活よりさらに〕闇き〔生活〕に突き進んでしまっている者ばかりである。その事を思うと実にかわいそうでたまらない。それでも、その人々の心の底には、大ミオヤ〔である如来〕様から与えられた仏性という浄い浄い尊い尊い、ダイヤモンドよりも尊い霊の玉を持っている。しかし、〔闇の中にいるため〕貴重な宝石の〔存在とその価値に〕ちっとも気付いていない。
 せっかく人間に生れても、天地万物のあらゆる仏さまや神さまの大本である如来様を知らず、人生を空しく過ごしていることが、どうしても気の毒でたまらない。どうにかして、すべての人々に如来様〔の存在〕を知らして、その光明によって、きよき人によみがえり、永遠に活きる真の人々にするために、即ち光明会は如来様の聖旨を世の人々に知せるために世に出たのである。もし如来様の光明に照らされ〔、そして温められると、〕卵〔の中の命がその殻の中で成長していく〕ように、〔仏性である〕心霊が〔成長し〕、信仰の目鼻がついてきたならば、大いなる如来様の御恵みによって、〔その殻が破られ、闇の生活から、光明の生活に変わり〕日々ありがたく、楽しく生活をする事ができる。

解説

 この書簡の認日や宛先は封筒の情報が伝えられていないため不明ですが、文面に「流行感冒」とあり、スペイン風邪が流行した大正七年以降の書簡であることが分かります。
 現在のコロナ禍以上に厳しい状況にあっても、スペイン風邪という肉体の病の治癒やその状況を憂うというより、如来様の在すことを知らず、闇の生活をし、人生を空しく過ごしている人々の、根本的な病(無明)を憂い治癒したいと願う弁栄上人の慈愛が伝わってきます。特に「…でたまらぬ」との強い言葉が印象的です。

出典

『御慈悲のたより』上巻二〇六~二〇七頁。在家宛。

掲載

機関誌ひかり第744号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」
  • おしらせ

  • 更新履歴

  •