黒き炭に火がつく時は、おき火の紅赤にまた熱を発する如く、我らが煩悩の罪悪の闇黒も、如来の慈光の加わる時は、恰も黒炭に火の燃つつある如く、若し炭を離れて火の燃ることなき如く、我らが煩悩の心にこそ如来の慈光は燃ゆべけれ。あな辱なや、ありがたや、我らが暗の心も如来の慈光によりて活され、日々にかたじけなく、また喜びの日ぐらしをせらるるもの、みな大ミオヤの大悲の力に依らざるはなし。
現代語訳
黒き炭に火がつくとき、その熾火が赤く熱を発するように、私たちの煩悩の罪悪の闇黒も、如来さまの慈光に照らされると、あたかも黒き炭に火が燃えつきつつあるように、もし炭がなければ、火が燃えつくことがないように、私たちに煩悩の心があるからこそ、如来さまの慈光は燃えつくのです。あぁなんとかたじけないことでしょう、ありがたいことでしょう。私たちの〔真っ黒〕な闇の心も、如来さまの慈光によって活かされ、日々にかたじけなく、また喜びの日ぐらしができるのも、みな大ミオヤ〔である如来さま〕の大悲の力に依らないものはないのです。解説
行者(この文を拝読する者)の信仰の発熱を促す経典や念仏者のご法語をここで紹介していきます。また、現代語訳を、他の弁栄上人の御遺稿を参照しつつ、〔 〕によって加筆し作成しています。今後、より正確な現代語訳作成の叩き台となれば幸いです。
出典
『弁栄上人書簡集』「一九五」五四六~五四七頁、『御慈悲のたより』上巻「二四〇」四三二~四三三頁。鈴木憲栄上人宛。掲載
機関誌ひかり第755号- 編集室より
- 行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
- 現代語訳の凡例
- 文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
- 付記
- タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」