光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

発熱の文 55 遠大なる望み


 理想のぼさつとして生活せるもの、遠大なるのぞみなしに日をくらすベからず。望みなしにあるものは、すでに心霊死したるものなり。いかなる望みかこれなる。聖国の世つぎたらんことなり。聖国の世つぎとならんには、その資格を備えざるベからず。資格とは何ぞや。聖旨のごとくに、きよからしむるなり。ミオヤにあらせたまう聖徳を与えらるるために、望みをおこすなり。すベての真理をさとらんと心霊をみがくなり。四面玲瓏とかがやくように、心情を如来と融合するなり。またこの神聖なるみむねをあらわすようにはたらくなり。正義のみむねをあらわすようにはたらくなり。世つぎということを忘れざるなり。無上の欲望をもって、安んぜざるなり、足れりとせざるなり。一日もむだに日をくらさざるなり。一寸の光陰を千金よりおしむなり。むだ話をして時間を費すことをせぬなり。
 欲望なき人は、貴重なる時間を浪費するなり。一日は極楽の百才なることを思わざるなり。
 欲望なき人は、如来が常に与えつつある無価の宝珠をうけざるなり。
 この欲望はいけるかん世音なり、しゃかむになり。


現代語訳

 理想の菩薩として生活する者は、遠い将来までを見通した大いなる望みを持たずして日を暮らしてはいけません。望みを持たずして生活している者は、すでに霊性が死んでいるのです。〔それでは、菩薩の道を歩もうとする私たちは〕どのような望みを持てばよいのでしょうか。〔それは、〕聖国の〔阿弥陀如来様の〕世嗣ぎになりたいと願うべきなのです。その世嗣となるには、その資格を備えていないといけません。資格とはいったい何でしょう。〔如来様の〕聖旨のように、〔自らの心を〕清らかにしていくことが〔その資格となるのです〕。〔心霊の〕御親である〔如来様の〕聖徳を賜るために、望みを起こすのです。すベての真理を悟りたいと〔望み〕、心霊を研いていくのです。 
 どこから見ても清らかに輝くように、心情を如来様と融合していくのです。またこの神聖なる御旨を現すように行動するのです。正義の御旨を現すように行動するのです。世嗣ということを忘れてはなりません。この上も無い望みを持ち〔続けるべきであり、途中で〕安んじてはいけません、満足してはいけません。一日も無駄に日を暮らしてはいけません。一寸の光陰を千金より惜しむのです。無駄話をして時間を費やしてはいけません。
 望みなき人は、貴重な時間を浪費するのです。〔この世での〕一日は極楽の百年に相当することを思念していないのです。望みなき人は、如来様が常に与えて下さっている値段の付けようの無い宝の珠〔である霊性〕を受けとることができないのです。
 この望み〔を持つもの〕は活ける観世音であり、釈迦牟尼なのです。

解説

行者(この文を拝読する者)の信仰の発熱を促す経典や念仏者のご法語をここで紹介していきます。
また、現代語訳を、他の弁栄上人の御遺稿を参照しつつ、〔 〕によって加筆し作成しています。今後、より正確な現代語訳作成の叩き台となれば幸いです。

出典

『御慈悲のたより』上巻「一八九」(佐屋阿弥陀寺尼僧宛)、『御慈悲のたより』中巻「七」(猪狩家宛)。 若干文面の相異があるが、二箇所に送付された書簡同封のご遺稿と考えられる。

掲載

機関誌ひかり第756号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」
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