光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

発熱の文 59 道徳の根底


 今やわが国家、国民の体・知・徳の三育について大いに注意を払い、力を注ぐに至りては大いに喜ぶべきことにて、中について最も善良の国民を造るは、いまだ根底を確定せず。わが国民が、人生はいずれに向かって、何の帰着点を定めて、国民の精神を指導すベきかを知らず。道徳というものは、ただ忠・信・孝・悌にとどまるごとくに思うておる。そもそも道徳の最大根底というものは、もっと深い処に根ざしておる。〔中略〕
 人の精神の奥底に、仏教でいう愛の仏性という公平無私のもので、これを磨く時は、金剛石のごとくに道徳の光を放つべき性をもっておる。〔中略〕その法性は具有しておっても、磨かざれば光は発揮せぬ。信仰は、この法性を磨くの金剛砂である。天にあって道徳の道を照らしたまうのは、仏教に云わば、すなわち無量光如来である。無量光如来は大霊界の太陽である。たとえば天に太陽がありて、その光が金剛石に反映するごとくに、無量光如来の光明は、信仰にて磨きたる人の心性に反映する。地上において、あらゆる世人、道徳家中の大道徳家、釈尊の大なる金剛石に、宇宙に輝ける無量光如来の光明が映写して、そこで釈尊という世界第一の大道徳の光をもって、世界に教化の功を施したまいし。
 何人も仏性の金剛石はもっておる。信念をもって磨く時は、霊の太陽、無量光如来の霊光に映写せられ、充満され、霊化せられて、人格も革新し、世を度すベき光明は如来より授与せらる。
 あなたは将来、かくのごとき天より使命を蒙るべき身なれば、たとい今、人間の試験においては、さまで落胆せず、将来きたるべき大なる如来の実地の試験においてこそ、全心全力を捧げてつくすようにせられたし。
 新年の辞として、かくのごとくに候。


現代語訳

 今や私たちの国家、国民の体育・知育・徳育の三育について、大いに注意を払い、力を注ぐ〔教育〕に至っていることは、大いに喜ぶべきことです。〔ただしその〕中でも、最も善良な国民を育てるための〔道徳の〕根底は未だ確定していません。〔国の道徳教育は〕国民の人生がどこに向かうべきか、どのような帰着点を定めて〔生きていくべきかとの〕、国民の精神を指導する〔道徳の根底〕を明示していないのです。〔多くの国民が〕道徳というものは、〔儒教に説かれる、心の誠意の〕忠・〔ことばの誠意の〕信・〔親孝行の〕孝・〔年長者を敬う〕悌の〔四つの表相的な徳目〕のみと思い込んでいます。そもそも道徳の最大根底というものは、もっと深いところに根ざしているのです。
 人の精神の奥底に、仏教でいう仏性という公平無私の愛に〔生きる道徳の根底〕があるのです。これを磨くときは、ダイヤモンドのように道徳の輝く光を放つ性をもっているのです。その仏性をもっていても〔ダイヤモンドと同様に〕磨かなければ光は発揮しません。信仰は、この仏性を磨くための研磨剤なのです。天に在して道徳の道を照らして下さるものは、仏教でいえば、すなわち無量光如来(阿弥陀如来)なのです。無量光如来は大霊界の太陽です。たとえば天に太陽があり、その光がダイヤモンドに反映するように、無量光如来の光明は、信仰によって磨いた人の心性(仏性)に反映するのです。この人間界において、あらゆる世の人〔の中で〕、道徳家中の大道徳家であられる釈尊の大いなる仏性に、宇宙に輝く無量光如来の光明が映写しました。そして、釈尊の世界第一の大道徳の光をもって、世界に〔仏教の〕教化の功を施されたのです。
 何人も仏性のダイヤモンドをもっています。信念をもって磨くときは、霊の太陽〔である〕無量光如来の霊光が〔仏性に〕映写され、充満され、霊化され、人格も革新し、世を救うための光明は如来より授与されるのです。
 あなたは将来、このような〔世を救い、国を導くという〕天からの使命を蒙るべき身なのですから、たとえ今、〔大学入学や国家資格などの〕人間の試験において〔落第したとしても〕そこまで落胆しなくていいのです。将来、きたるべき大いなる如来の実地の試験においてこそ、全心全力を捧げて臨むようにして下さい。
 新年の辞として、以上のことを述べさせていただきました。

解説

行者(この文を拝読する者)の信仰の発熱を促す経典や念仏者のご法語をここで紹介していきます。
また、現代語訳を、他の弁栄上人の御遺稿を参照しつつ、〔 〕によって加筆し作成しています。今後、より正確な現代語訳作成の叩き台となれば幸いです。

出典

『御慈悲のたより』中巻「六六」。少年、三橋秀夫に宛てた書簡。弁栄上人の弟子となり、東京帝大に進学。

掲載

機関誌ひかり第760号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」
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