光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

発熱の文 63 宗教革命の準備


 此程、風邪に侵され、おしてやった為に大にいためられ候。されども時間をさまたげられぬは、これも大ミオヤの思召と存候て深く感謝する事に候。実におもえば、いつ何時に御引上の命令を賜わるかと存候えば、此捨果つる身体を何程たりとも余計に御奉公させ度と存候えば、たとえ病気の中でも勇気がいやまし候。而して己が大ミオヤより命ぜられたる宗教革命の準備に働らくことにつきては実に不惜身命にて候。
 今に遠きか近きかはしらず。宗教の革命は必ず来るべき物とおもえば、うれしくも感じられて候。〔中略〕
 何にしても頓て来るべき宗教革命の期までの仕事を、只むだに働らきて居るか、真実其準備として働きて居るかの二つにて候。即ち光明に向うての働らきか、闇に向っての仕事かにて候。


現代語訳

このほど、風邪に冒され、無理をしたため、〔身体〕を大いに痛めてしまいました。ですが、〔病床にて安静にしているため、他事に〕時間的に妨げられることなく〔一事に専念できること〕、これも大ミオヤ〔である如来さま〕の思し召しと受け止め、深く感謝しているところです。〔また、〕いつ何時、〔寿命が尽き、極楽への〕お引き上げの命令を賜るのだろうかと考えたとき、この捨てて往く身体を、できる限り多く、〔如来さまへの〕ご奉公のために捧げたいと思うのです。〔また、〕たとえ病気の中であっても、勇気がいや増すのです。そして、大ミオヤ〔である如来さま〕より命ぜられた、宗教革命の準備〔のため〕に働くことは、この身と命を捧げても、全く惜しいこととは思わないのです。
 宗教の革命は、〔はたして〕現在から遠くのことか、近くのことであるかは、分かりません。〔ただし、〕必ずくるものと思い、〔現在から〕嬉しく感じているのです。
 何れにしても、やがて来る宗教革命のときまで、ただ無駄に働いて過ごすか、〔また〕真実に、その準備として働いて過ごすかの二つなのです。即ち、光明に向かう働きか、闇に向かっての仕事か〔の二つ〕なのです。

解説

行者(この文を拝読する者)の信仰の発熱を促す経典や念仏者のご法語をここで紹介していきます。

出典

『御慈悲のたより』上巻二七九~二八〇頁、井深蓮教尼と小林蓮香尼宛。大正三年十二月、岐阜県布教先より発信。

掲載

機関誌ひかり第764号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」
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