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発熱の文

発熱の文 64 霊の恋愛


 衆生と如来とは同一法身を体とするが故に、理性に於ては一致すべき理あるも、内容実質に於ては、如来の聖霊的純潔なると、衆生の内容の煩悩罪悪なるといかにして親愛相和することを得べきぞ、との疑問起らん。然れども、この反対せる異性が却って親愛して密接の関係を希望する性能の存在せることは、生物の異性が同性に対するよりも、相愛の親密なる例に於ても知るべし。〔中略〕
 孔子曰わずや、「賢を賢とし色に易えよ」と。言うこころは好色を好むほど賢者を愛慕せしならば、己もまた賢者たるべしとの心なり。異性を恋愛するほどに霊を恋愛するならば、必ず霊応に感触することを得べし。


現代語訳

 〔私たち〕衆生と如来とは、同一の法身を本体としていますので、〔両者の〕理性においては一致すべき理があります。しかしその内容や実質において、如来の神聖・純潔な性と、衆生の煩悩・罪悪の〔性〕とが、一体どのようにして親愛し相和することができるのか、との疑問が起こることでしょう。しかしながら、〔衆生と如来との〕異性が、〔全く〕反対であるからこそ、かえって親愛して密接な関係を希望する性能となるのです。〔そのことは〕生物の異性が、同性よりも親密に求め合う例によっても窺い知ることができます。〔中略〕
 孔子が「賢を賢とし色に易えよ」とおっしゃっています。その意は、〔姿の〕麗しき人を好むように賢者を愛慕するならば、自分自身もまたその賢者のようになりたいと願いなさい、との心を伝えているのです。
 〔生物が〕異性と恋愛するように、〔賢者である如来の〕霊を恋愛するならば、必ず霊応を感じ触れることができます。

解説

行者(この文を拝読する者)の信仰の発熱を促す経典や念仏者のご法語をここで紹介していきます。

出典

『御慈悲のたより』上巻「一八四」三四二〜三四三頁。愛知県佐屋阿弥陀寺の尼僧衆に宛てた書簡の一節。

掲載

機関誌ひかり第765号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」
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