人が此世に生れついていでたるは、ただ肉体の快楽をもて、幸福と申すことにてはあらざるなり。此の世に出でたる目的は、種々の苦にも難にも遭遇して、一心を磨き、而して大ミオヤの御恵みと、御ひかりとをたのみて、大ミオヤの御むねに、かなう人として、たましいがみひかりに霊化せられて、如何なる苦難の中にも、進んでそれを甘受するような精神になるべき修行を為すこそ、人生の目的にてあると信ずる時は、天の大ミオヤの思召にかなうが故に、からだよりは精神に幸福を感ずるようになるなり。であるから、たとい、いかなる事に遇うとも、是がために修行が出来る、磨きが出来ると思うて、進んで悦ぶように、信念を大ミオヤによりて養いたまえよ。
現代語訳
人がこの世に生まれてきた目的は〔何でしょう。〕ただ肉体の快楽を追求していくことは、幸福ともいえず、〔また人生の目的〕でもありません。この世に生を受けた目的は、種々の苦難にも遭遇して、一心を磨き、そして大ミオヤ〔である阿弥陀如来〕の御恵みと、御光とを頼り、大ミオヤの御旨に適う人と〔なることが真の幸福であり目的なのです。そして、あなたの〕霊性が、〔大ミオヤの〕御光に霊化されて、どのような苦難の中であっても、それを甘受できるような精神となるために修行をすることこそ、人生の目的であると信ずるのです。そうすると、天の大ミオヤの思し召しに適う〔人格となり〕、肉体よりは精神に幸福を感ずるようになります。ですから、たとえどのような苦難に遇っても、その出来事を通して、修行ができる、〔精神を〕磨くことができる、と受け止め、進んで悦ぶことができるように、信念を大ミオヤ〔のお育て〕によって養って参りましょう。
解説
信仰の熱を起こす弁栄上人の御法語と現代語訳を掲載していきます。出典
『ミオヤ二』「苦にも難にも遭遇して一心を磨き」六二頁、『たより中』「五二」。高崎市桜井家宛の書簡。掲載
機関誌ひかり第768号- 編集室より
- 行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
- 現代語訳の凡例
- 文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
- 付記
- タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」