光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 台所から世界を観る 

山本 サチ子

 これまでに経験した事が無いほどの暑い夏が収まり、短い秋も束の間の気候で締めくくられた。過去から考えられない気候変動が世界各地で起こり、また世間では恐ろしい事件が発生している。それに追い打ちをかけ物価高が起きている。はてしない物価の上昇はどこまで続くのかさえ不明である。この状況のなかでは以前のような穏やかな気持ちではいられない。
 そんな沈んだ私の気持ちをホッとさせてくれるのが庭に咲く花々だ。秋桜、数色の菊、薔薇、オシロイバナ等、競って咲いている。冬の到来などまるで無頓着のように咲き誇っている。私は一言も話すわけでもない花々から優しさと潤いを頂き、自然の育みに大きな喜びを感じている。…お花には念仏に似た力がある。

 奥ふかき心にのみと思いしに
  庭の花さへさとりひらきつ
         (山崎弁栄上人詠む)

物価高

 私は2日ごとにスーパーマーケットに買い物に行く。品物を手に取って見て値上げ幅の大きさに驚く。こんなに高額になるのでは今夜の献立は変更しよう。そう考えていた矢先に連れ立って買い物をしていたご夫婦の声が聞こえてきた。
 「お父さん、すき焼きが食べたいと思ったけど材料が高いから今夜はカレーライスでいいかしら? カレーライスなら明日はカレーうどんにもできますから。」側にいたご主人曰く「それが良いね。よく考えて買い物しないと物価高についていけないよなぁ」と言います。
 私は驚いてしまった。まるで自分の胸の内を語られてしまったようだ。同時に次の瞬間笑いが込み上げてきた。お腹に力を入れて笑いを堪えた。今夜は我が家もカレーライスだ。家族の好きなステーキ用の肉はあまりにも高い額だもの…。けれど高くても野菜サラダは食べたいな! トマト、キュウリ、レタスどれも高いが何もかも我慢することはストレスが溜まり健康に良くないから…と、あれこれ考えながらそれでもレジカウンターに着く頃には籠の中は食材でいっぱいになった。
 最近まで買い物をする際、少し高価な食材でも仕方ないと購入していた。けれど今の物価高にはついていけない。野菜などの値上がりは驚くばかりで値段をみて諦めてしまうこともしばしばだ。どうやってこの状況を乗り越えるべきか? それには、野菜は農家直売所で買うことではないか?
 私は直売所のおじさんにどうして安く販売出来るのかを訪ねてみた。「農協やスーパーを通さなければ手数料等の負担がかからない。直売所ならその分お客様に安く提供できます」と返事が返ってきた。有り難いことにこの地域は農家が多いため私はあちらこちらと直売所を渡り歩くことにより、安くて新鮮な野菜を手に入れることが出来ている。
 物価高は野菜に限ったことではない。すべてが値上げになっている。値上げ幅が大き過ぎることは残念なことだ。かと言って我が家の物価高対策も現状では出来ていない。どうやら物価高は国際的な原料価格の上昇や円安による海外からの輸入コストの増加が背景にあるらしい。今の段階では物価の上昇をくい止めることは容易ではない。個人の節約の努力だけでは解決できない所に立たされている。

母のことばは分別

 子供の頃私は暗い場所が怖くて、トイレに一人で行けなかった。お化けが出るのではないかといつも考えていた。そんな時に母は私に言った。
 「暗がりなど怖くない。本当に怖いものは分別を知らない人間なのだから。」
 母は淡々と語った。だけどやっぱり暗がりは怖いよ。…と思った。
 母は、自分中心の考えしか持たない人の事を言いたかったのかな? …と母の居なくなった今、母のことばを時々思い出す。「強い人だなぁ。お化けが怖くないなんて!」…とその頃はただ驚きの感情で母を見ていた。
 今、世の中(世界)が子供の時分より変わってきている。今の世の中的にはそう思えてならない。凶悪犯罪やら世界では戦争があちこちで起きている。戦争兵器もこれまでとは異なる。世の中の乱れた秩序をどの様に取り戻していくのか。
 かつての教育は親や周囲から躾や、分別、忍耐を教わった気がする。野放図に育てられた記憶はない。今や肝心な人のこころを置き忘れてきていることもあるのではないか? 心を取り戻すために温かな人との交わりが出来れば社会生活を送る上でそれが心の支えになるのではないかと思う。それにはどうするの? …と、あれこれと台所の片隅で床にこぼれたピーマンの種や野菜くずを拾い集めながらとめどないことを考えている。世界が変容しつつある不安を抱きながら…。

結び

 最近、周囲の人々から「宗教? 信仰心」を持てば利益に繋がるの?…と驚く言葉を聞いた。
 ショッキングな言葉は私の胸に突き刺さった。こんなことを人々に言わせてはいけないのではないか? このことばが世間の人が持っている普通の考えだとしたならばどうやって真実を訴えることが出来るのか? … 机上のことばではなく一人一人にあった方向で取り組んでいくことが重要なのだと思う。目標だけ掲げるのではなく行動が大切だ。地道に周囲の人と対面して、生きる上で何が大切であるのか? 心の叫びを聴きとり一緒に考えていく。
 自己の利潤のみ追い求め暮らすのではなく心の平安を保つことを少しでも広めていかなければ世の中の平和、個人の本当の幸福などあり得ない。そのことを周囲と共に考え進めることが肝要である。具体的にはやはり、
 ① 会の行事への工夫
 ② 会員の増加を達成させる(身辺の人へのことばかけ)
 以前行っていた老若男女を含めた軽いハイキングや茶話会は参加者の心を繋ぐさわやかなイベントであった。人は遊びの部分を求め心地よい居場所を探すはず。それが無ければ心が折れてしまうこともあるのだから…。会員の増員無くして光明会の存続は難しい。現在、光明会は窮地に立たされています。この当たり前の小さなことを一人一人が実行することを令和7年の目標に会員の方々と共に実行したいと考えています。

「如来の光明は遍く十方の世界を照らして念仏の衆生を摂取して捨て給わず」

 どうぞ皆様、令和7年もよろしくお願いいたします。 
合掌 

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