光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.11 本堂の阿弥陀様、台所の菩薩様

菅野 眞慧 数年前の善光寺年頭別時最終日1月5日の出来事です。元旦からの別時念仏を皆さんが満行し、晴れやかな笑顔で帰路就くのをお見送りしました。善光寺に住む者として、今年も無事にお別時が終わったことを喜んでおりました。天…

(続きを読む)

光明主義と今を生きる女性 No.10 私の光明生活 其の2

※その1はこちら 田代 悦子 (4)別府上人との御縁 次男の泰彦が大学受験に失敗して浪人を決めた時、三年先輩の従兄弟の高杉義明君が、常々とても熱心にお念仏している姿を見て、自分も頑張ってみたいと、誘われるままに瀬戸田にあ…

(続きを読む)

光明主義と今を生きる女性 No.9 私の光明生活 其の1

田代 悦子 (1)光明主義との出会い 「悦子ちゃん、明日は良いお話が聴けるから、学校から帰ったら、直ぐ伯父さんの家においで」と伯父さんから言われて、当時高校1年生だった私は急いで帰って伯父さんの家に参りました。 奥座敷を…

(続きを読む)

光明主義と今を生きる女性 No.8 私の母の事

福岡県宗像市 小田久子 私の母は40代前半に目が不自由になり両眼とも見えなくなりました。母は福岡県田川郡の香春町という所に独りで住んでいました。庭が意外と広く畑を作ってまして、その畑の中間に外風呂がありました。その日も夜…

(続きを読む)

光明主義と今を生きる女性 No.7 鉢伏山親子別時の思い出

花岡こう 「お浄土の様に草花の美しい鉢伏山で親子別時が始まったので参加しませんか」とお誘い下さったのは、お世話係の池末茂樹様でした。小学校2年生の伸明と1年の由起を連れてはじめて参加したのは昭和38年の夏でした。鉢伏山は…

(続きを読む)

光明主義と今を生きる女性 No.6 留学生の思い出

山本サチ子 私は大学の事務局で働いているために多くの留学生と出逢いがありました。 学内の留学生の大部分はアジア系の学生でした。国の数だけ数えてみるとさほど多い数でないのですが多くの留学生と接してきました。留学生の生活は決…

(続きを読む)

光明主義と今を生きる女性 No.5 (熊野好月先生のあいさつ)

弁栄聖者50回忌に全国婦人部が誕生した際の熊野好月先生のあいさつ文です。この好月先生の思いを受け継ぎ、一歩一歩精進してまいりましょう。 ごあいさつ 熊野 好月 謹んで新年のごあいさつを申し上げます。 皆様の容易ならぬ御力…

(続きを読む)

光明主義と今を生きる女性 No.4 光明主義と今を生きる女性

三上明光 幼い頃より、光明会のお念仏の声に守られ、育てていただき、私も祖父の横に座り、お念仏を称え、『礼拝儀』を大きな声で称えておりました。幼い私の体の中には、いつもお念仏が心地よく響いておりました。今思いますと、人とし…

(続きを読む)

光明主義と今を生きる女性 No.3 聖者から女性へのメッセージ

聖者から女性へのメッセージ 良に惟みれば光陰の過ゆくこといと疾し。もはや今年の半ばの月に入にけらし。其のち云何に在らせられ候哉。よろずの事は兎まれ角まれ、人生の一大事。人は宇宙の一大ミオヤより受たる霊性本具せり。大ミオヤ…

(続きを読む)

光明主義と今を生きる女性 No.2 光の中に育まれて

植西 武子 光の中に育まれて 高校一年のある日、自分の進路を考えていた時にふと抱いた大きな疑問、「もし、最高の大学に入って、最高の仕事に就いて、素晴らしい結婚相手に恵まれたとしても、それが何だ。その先に何がある。」さらに…

(続きを読む)
  • 更新履歴

  •