光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

発熱の文 73 智慧光 二


 如来の妙相三種とは一、感覚的、二、写象的、三、理想的之なり。
 一に感覚的啓示とは、衆生見仏三昧に入て心眼開発し、仏境界を現前する時、先ず先駆として感見すべきものは感覚的啓示なり。三昧の中に或は明相に接するあり。〔中略〕衆宝荘厳の清浄国土の相または微妙端厳なる仏陀の相好光明等の心眼に見るべき聞くべき如きは感覚的なり。感覚的というも肉眼の対象なる物質的感覚的現象なりと謂うべからず。
 次に写象的啓示とは、初めに如来を相好光明等を以て観ずるもそは如来の本体にあらず。不可思議の霊能より顕現したる相なりとし、如来は神聖・正義・慈悲・智慧等の最霊徳として如来を観見す。〔中略〕神の啓示は吾人に正しき知見を与え、神と共にありて神の指導の下に働くべき道を照すにあり。神は唯智慧と慈悲との光として宇宙に充満し給えるを示さる。
 次に理想的啓示とは、如来法身を観ずるなり。法身は如来の本体にましませり。法身は真如の体、形色を超え相貌を絶し智慧慈悲等にもあらず。唯宇宙唯一の理想態、正しく一切の妄想分別を離れたる最深の理想と相応する処、即ち絶対同時の観念態なるが如く、すべての色相を離れたる、所謂る唯証のみありて相応する処の相なり。


現代語訳

 如来の〔智慧光によって〕啓示される内容には三種あります。一、感覚的、二、写象的、三、理想的、この〔三つの啓示〕があります。
 一、「感覚的啓示」とは、〔私たち〕衆生が三昧の状態に至ると、心眼が開発され、先ず〔感覚的に〕仏の境界が〔その念仏者の〕現前に啓示されるのです。それを感覚的啓示といいます。三昧の中で、明るい光明に接することもあります。〔あるいは経典に説かれているように〕、あらゆる宝によって荘厳された清浄なる浄土の様子を観見したり、麗しい如来のお姿や、そこから発せられる光明を観見したり、〔また浄土の妙なる音色を〕聞いたりなど、これを感覚的〔啓示〕というのです。感覚的といっても肉眼の対象である物質的、感覚的現象ではありません。
 二、「写象的啓示」とは〔一の感覚的啓示によって〕如来のお姿や光明等を観見したといっても、それは如来の本体ではありません。不可思議なる霊的能力によって顕現した〔霊徳の〕姿であり、如来は、神聖・正義・慈悲・智慧などの最も〔偉大なる〕霊徳の如来であることを啓示されるのです。神〔である如来〕の啓示は、私たちに正しき知見を与え、神と共にあり、神の指導の下に働くべき道を照らして下さるのです。神はただ、智慧と慈悲との光明によって、この宇宙を充満していることを啓示して下さいます。
 三、「理想的啓示」とは如来の法身を観見する啓示です。法身とは如来の本体であり真如の本体。〔感覚的啓示の〕姿や形を超越した〔その本体であり〕、〔写象的啓示の〕智慧・慈悲などの啓示でもない〔その本体〕。ただ宇宙に唯一の理想的な本体、すべての妄想や分別を離れた最深の理想と相応する啓示、すなわち〔過去現在未来の時間の形式を超越し、空間も超越した〕絶対同時の観念の本体であり、すべての姿や形から離れた存在です。いうなれば、ただ〔真如の〕証のみがあることを観見するのです。その証と相応する啓示を〔理想的啓示〕というのです。

解説

今回は智慧光によってもたらされる三つの啓示、①「感覚的啓示」、②「写象的啓示」、③「理想的啓示」を伝えている箇所です。この三種は、①②③と順を追って啓示されることが伝えられています。(『清浄光他』一一五頁等でも)。
 この三種の啓示を他の遺稿も参照して平易にいうと、①は如来のお姿と浄土の荘厳を眼耳鼻舌身の感覚作用のように感覚する啓示。②は如来の慈悲や智慧などの霊徳(御心、写象)を覚知して、その徳を体現できるようになる。念仏相続、持戒(正義)のエネルギー(他力、戒体)となる。③は時空を超越し、すべてが法身(証、永久不変の真理)であるとの啓示。
 この①②は『観経』の「仏身(①)を観ずるをもっての故にまた仏心(②)を見る」の内容といえます。また、①②③は、法然上人『選択集』三章段の「弥陀一仏の所有あらゆる四智・三身・十力・四無畏等の一切の内証の功徳、相好・光明・説法・利生等の一切の外用の功徳、皆ことごとく阿弥陀仏の名号の中に摂在せり」(聖典三・一一八頁)にある外用の功徳が①であり、②が内証の功徳、その内証中「三身」の中「法身」が③の啓示といえます。

出典

『光明の生活』改訂版一七一~一七三頁

掲載

機関誌ひかり第774号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」
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