石川 ゆき絵
夫が首を負傷して4ヶ月が経過した。公立病院で無料の手術を受けるために順番待ちをしているのだが、麻酔医のストライキにより手術待ちの列は遅々として進まず。
本題に入る前に少し横道に逸れさせていただくと、ブラジルは医者も警官もストライキをする。どんな職業の者も、賃金や労働環境の不満を解消するのはひとりの人間として当然の権利である、という考え方なのだ。
ちなみに学生もストライキをやる。娘が高校生のとき、暑すぎて勉強に集中できん、というのを理由に「各教室にクーラーを設置するまでは登校せん」と学生たち全員が授業をボイコットしたことがある。驚いたことにこの要求は学校に受け入れられ、2週間後にエアコンが設置された。ふとっちょの生徒が2、3人ばたりと倒れてみせたのも功を奏したのかもしれない。ついでに言えば、この高校の生徒たちは、家にエアコンがある家庭の子はひとりもいなかった。
さて、先日ようやく「麻酔医のストライキが終わって手術の列が動き始めた」と連絡をもらったので、夫の手術の順番が来るのも近いかもしれない。4ヶ月間、待ち焦がれてきた手術。そしてこの4ヶ月の間にわたしたちの考えは日々変わり続けた。
日にち薬とはよく言ったもので、怪我当初は激痛により一刻一刻が苦しみに満ちていたけれど、一日一日を精一杯乗り越え乗り越え朝を迎える数が増すごとに、夫の苦痛はすこしずつ和らいでいった。今は本人曰く「半人前」。用心しながら動作する分には日常生活にほぼ支障がないくらいに回復している。
怪我の直後なら何の迷いもなく手術を受けていただろう。しかし紆余曲折し今日に至った4ヶ月を振り返ってみると、自然治癒力によりここまで快方に向かってきたことは、阿弥陀如来様の御計らいであり、お導きである、と受け止めることができる。手術しなくとも治るのではないか!? という思いが起こってきた。
しかし快方に向かってきたものの、ここ最近では症状が横ばいになっており、これ以上は自力で治ることができないのではないか!? という思いも体感でわかってきている。
さあ、どうしよう。
友人や知人からも助言をいただけている。タイ古式マッサージ師や鍼灸院を営む方、アレクサンダー・テクニックで痛みを克服したピアニストからは、「手術を受けずとも治るであろう」と力強いメッセージをいただいた。
町の小さな整形外科に定年後に勤める放射線技師の父は、頸椎損傷手術後の患者さんを多く撮影している経験から、「みなさん状態は良いので手術を勧める」と言うが「町医者に来る人は経過が良い人たちで、手術が失敗した人は施術を受けた大病院で治療を続けているやろうから自分の意見は参考にはならぬかもしれん」とも付け加えていた。
西洋の生物医学を学んだ娘は「お父さんはもう年寄りなんやから、手術せな絶対治らんけんね。順番来たらちゃんと手術してねっ、 じゃーねっ」と言い残して、オーストラリアの大学院留学へと旅立って行った。2週間前にお母上が脳出血で半身麻痺と失語になった親友は、医療行為が何もできないもどかしさに苦しんでいるなかで「手術という打てる手があり回復の見込みがあるなら、その手を使うのはアリかな、と思う」と手術へと背中を押してくれた。
多くの仲間が助言をくださることに深く感謝。それらの助言と手術待ちの4ヶ月間、自然治癒と横ばい状態。それらを丸ごと内在させ思考し治療の選択をする。どの道を選び歩むのか。
しかしどの道を選ぼうとも、たどり着きたい場所は同じ。わたしたちがお念仏という手段を選んでいて、そのことにはもう迷いがないのと同じく、おのおのが自分の信じる道を歩んだり走ったり匍匐前進したり、それぞれの進み方でゴールをめざせばいい。
仏道と怪我の治療法を一緒くたにすることはできぬことは承知の上だが、弁栄聖者が田中木叉上人に仰ったお言葉を思い出す。
「仏道というものはその様なもので、行ったこともない者が知らぬ地理のうわさ話をしていても少しもわからない。そこでまず歩き出す。どっちに行けばよいかわからぬところに出る。ここからどちらの道を取ればよいのですか、というふうに聞く。行ったこともないお浄土の事を尋ねても解るわけがないのです。」
手術の先も、手術しない選択をした先も、わたしたちにはいま見えない。しかし一歩を踏み出さねばならない。そのあとに「次はどちらに参ればよろしいでしょうか」と、おたずねしよう。「どなたにおたずねする? 阿弥陀如来様に」だ。
ところでわが家には片目の猫・しんちゃんがいる。しんちゃんは娘が拾った子猫のときには片目がほぼつぶれていて、生まれ持った障害なのか生後の負傷などによるものなのかは不明。獣医師からは手術で眼球を取ったほうがいい、と言われたのだが、わたしたちには、つぶれている目も瞬きはするし眠るときは閉じるし目頭の粘膜が潤っているように思えて、生きている細胞がある眼球を取るのに抵抗があり手術をしない選択をして現在に至る。
しんちゃんは成長がすごく遅くて、年齢的にはもう成猫なのだが、いつまでもとても小柄で娘は「ミニ猫」と呼んでいるほど。
そんなしんちゃん。閉じているほうの目が最近少しずつ開いてきていて、「もしかすると見えるようになるかも」と、わたしは心の片隅で期待している。「でも、片目が見えないままでもいいやん。ちいさな体のまんまでもいいやん。それごとすべて丸ごとしんちゃんなんやから。すべてが如来様のお計らいで、あるべき処に導かれ運ばれていく。それごとすべてが丸ごと縁。」
と、ここまで書いて、今回の原稿を脱稿とし、金田上人に送信しようとしていたところ、集落の友人たちが訪ねてきた。「キヨの焼きそばが食べたい」と言う。
彼らはうちの庭仕事をときどき手伝ってくれるので、その際には焼きそばやインドカレーなど、わがレストランの料理を昼ごはんに提供している。だがら彼らが焼きそばを大好きなことは承知している。しかし今のわたしたちは4ヶ月間レストランを閉店していて懐不如意の身。焼きそばは中華麺や日本の醤油などの輸入食材も使うし原価が高額になるので、材料代は置いてってもらおうかな、でも彼らはとっても貧しいし請求しにくいな、と思っていたら、焼きそば4人前をぺろりと平らげたふたりは、代金をさらっと置いて爽やかに帰って行った。
彼らがわたしたちを応援しに来てくれたことがくっきり判った。その応援が届いたわたしたちの心はとても暖かい。レストラン「ゑん」の大将であるわが夫は、とてもうれしそうだった。「美味しい」という声と顔を目の前で見ることができるのは、本当にしあわせだ。レストラン再開が待ち遠しい。レストラン再開に向けて一歩を踏み出すときは近い。
南無阿弥陀佛