7月巡伝報告
福岡地区 金田 恭俊
15日 福岡光明会 10名
16日 正法寺 40名
今回は、「お念仏の生活」についてお話をさせて頂きました。
まず第十八願を説明し、この「上は一生涯を尽くすお念仏から、下は十声一声」のお念仏であっても、必ず救って下さる阿弥陀如来の本願に大安心を得て、日常生活をお念仏の中に勤めていくことの大切さをお話致しました。
次いで鎮西上人の「菩薩は必ず仏の子である」という話の中から、子が母を思うが如くのお念仏の大切さ、また良忠上人の「極楽を信じ楽うということは、(阿弥陀仏を)信じ愛する事である」というお言葉を紹介して、お力目当て、財産目当ての信仰の危うさ等を説明致しました。
たとえば、病気平癒を祈る信仰は病気平癒が本尊となってしまい、神仏が手段となるような誤った信仰になります。不離仏・値遇仏のお念仏になってきますと、阿弥陀様にすべてお任せしていくという心持ちになっていくことを説明し、病気が不安な時、いろいろな悩みがある時、その気持ちをそのまま阿弥陀様におぶつけしていくことが大切であると思います。
また、お念仏生活で私達が変わっていくことが、なによりのお念仏の証明になっていきます。そこが何より尊いことだとお話致しました。
北九州地区 柏原 寿美
20日 大願寺 22名
20日 戸畑光明会 8名
21日 円応寺 15名
雨の中での巡伝でした。両日とも梅雨末期の雷を伴う大雨となり、山口県防府市では死者不明者17人という大惨事をひきおこしました。新幹線も路線故障で小倉発「上り」は21日終日運転出来ず、私も駅で夜を過ごす羽目となり翌朝帰宅いたしました。こうした大きな自然災害に直面すると大自然の驚異を思い知らされます。特に人の死に対しては無常と悲哀を痛切に感じます。雨の中の三会所とも、ご参詣をいただき無事に結願出来ました事を感謝いたしております。
今回のお話は元祖様ご法話の中にある「行者存念」についてお取り次ぎしました。
一には世間無常流転三界、人の生命の儚さ(念死念仏)
二には仏の本願、往生浄土(来迎引接)
三には人身難受、空費しない人生、霊性開発
四には仏法難遭遇、見聞得受持
五には宿善慶喜、信心決定、念仏精進
以上、折りに従い事により思い浮かべ心がけて仏法を信じ浄土を願う心を養い育てるべき旨をお伝えしました。
各会所におかれましては送迎、食事、宿泊等のご手配など大変有難うございました。厚く御礼申し上げます。
筑後地区 鶴山 恒教
19日 浄源寺 二席 50名
20日 浄土寺 21名
20日 浄福寺 15名
20日 竜川寺 休会
21日 摂化院 休会
7月に入ってようやく梅雨らしくなったと思えば、今度は局部的な大雨となり多くの人命が奪われました。どうせ降ってくれるなら加減して降ってくれればいいのにと感じつつ、2年ぶりの筑後地区巡伝に出発しました。過去に寄せていただいた寺院さまに加え、星野村の浄源寺さまに初めてお参りできました。年に一度しかないチャンスに廻り合えたことをうれしく思いました。
筑後は稲作・果物栽培・お茶栽培の盛んな地域です。青葉をいっぱいに広げた作物の中を抜ける車中、木叉上人御作「青い稲葉はその中に 白いお米の実るため 死ぬ体はその中に 死なぬいのちの育つため」の聖歌が思い出されました。損得勘定ばかりで物事を捉え、天地の計らいに対してさえも愚痴が出る我ではあるけれど、大慈大悲のお念仏の生活の中で、慈悲の計らいにも智慧の計らいにも感謝のできるようにと、大ミオヤさまを念じた次第です。お足元の悪い中お参りいただいた皆様、各会所寺族の皆さまお世話になりました。
筑豊A地区 永徳 光明
23日 定禅寺 8名
23日 福円寺 21名
24日 種善寺 20名
今回の巡伝では「お念仏」によって「安心」が培われ、「正受」(正観)へとつながっていくことについて話しました。三カ寺とも「香の堂内に染みるが如く」お念仏が継承されてきていることを感じました。
定禅寺様 先代が急に遷化なされて4年、成美上人とご令室で除草作業など尽力されているご苦労が拝察されましたし、「藤寺」といわれるように県指定の天然記念物である樹の庭、そして眼下に「寺迫の池」を臨んで心和むたたずまいでした。藤は「迎接の藤」と名づけられているのも、拙寺の寺号と同じで心に残りました。
福円寺様 悲母観音像を安置した太平洋戦争における檀信徒戦死者の供養塔、永代供養墓「もやいの塔」などが近年に建立され、寺観がさらに整えられていました。晋山4年の秀元上人を後見される武元上人の御姿がより有難く心に残りました。
種善寺様 軒下に積まれたストーブ用の薪、昼食でいただいた手作り(徹空上人ご夫婦による)の野菜など、自然と多くかかわっておられるお姿が想われ、尊く感じられました。
8年ぶりの筑豊(A)地区巡伝。往きは順調に到着したものの、帰途は記録的な豪雨で視界がほどんどきかず、カーナビも読み取れない。高速道をどうにか無事走り終えて帰山できたのは、如来様のご加護があったればこそと痛感。
筑豊B地区 慶田 太龍
24日 西福寺 22名
24日 浄光寺 休会
25日 長安寺 休会
世界中が皆既日食で騒いだ翌々日の巡伝。小雨が断続的に降る中、多数の参加を頂き感謝の気持ちで一杯です。法話は「歎徳章」の「其れ衆生有りて斯光に遇う者は・・・善心生ぜん」について。勉強不足にもかかわらず熱心なご聴聞、ただ反省するのみです。二度目の仏縁を頂き、塩先上人をはじめ、お檀家さん有難うございました。
粕屋地区 多賀 学昭
13日 西林寺 100名
14日 珠林寺 31名
西林寺様は施餓鬼会と併修。回向のなりたつ所以は空性(法身)を基にしていること、回向は如来様にお願いしてこそ届くことを詳説。特に無縁の精霊への回向には絶大な功徳があることを強調して施餓鬼会の意義を説いた。
両会所とも大変ありがたく思いながら例会を勤めさせて頂きました。
大分地区 多賀 学昭
4日 善光寺 40名
5日 〃 30名
5日 長昌寺 休会
5日 迎接寺 休会
6日 蓮華寺 35名
4日 善光寺 迎接寺が休会となったので、善光寺で4日、5日と連続してお話を勤める。皆作法要ということで、田植えがすんだあとの感謝と豊作祈願の法要の後、田中木叉上人の心田田植歌をもとに霊性の種子を蒔き、四修によって育てることの大切さを中心に説く。迎接寺の若和尚様がお手伝いに来ておられ、いろいろ歓談。楽しいひとときでした。
5日 善光寺 引き続き、お勤めと法話。前日に菅野ご住職から「歌を歌うように」と厳命を受けていたので、弁栄聖者の三昧発得偈と一心法界のお話をしながら「千の風になって」を歌う。
6日 蓮華寺 久々に鶴山瑞教上人にお会いして無沙汰を謝す。恒教住職は檀務に宗関係の役職にと東奔西走のご様子、ご苦労様です。例により調子にのって歌を歌ったがあまり受けず反省しながら淋しく帰る・・・。柳の下に泥鰌はいなかった。
五島地区 山上 光俊
4日・5日 阿弥陀寺 140名
6日・7日 善福寺 85名
京都から姫路へと伝道の旅、そして博多港につき太古フェリーに乗り4時に小値賀港につきました。日本の最西端で夕日がとても美しい島です。人口はかつて1万2千人もいたけれども現在は4千人を切るそうです。少子化・高齢化・過疎化の波は、全国各地に厳しく確実に押し寄せています。しかしこの島は自然が豊かでいろんな困難を抱えながらも純朴で助け合い、念仏の信仰に生きる人達がたくさんいます。3年前のお十夜布教の折にも大勢お参りがありましたが、今回阿弥陀寺様140名、善福寺様85名のお参りがございました。今回の法話はいのちに関する話と如来光明礼拝儀をテキストにして三身即一の阿弥陀様についてのお話をさせていただきました。
布教資料に、①昨年、山田泉さんが癌と闘いながらも生徒たちに「いのちの授業」をされてNHKで放映されました。彼女からいただいた「生きようよ」という詩と歌。②昨年秋、トビス公民館記念講演会で、アグネス・チャンさんとご一緒しました。彼女も癌にかかり、生きる意味を深めて作詞作曲された「このよき日に」のCDをいただきました。その会場で彼女は「すべてに感謝して生きる」ことを一生懸命歌われ、皆感動しました。この感動を伝えたいと思い、その詩と曲をそれぞれプリントして配布して活用しました。
阿弥陀寺様では3歳のお孫さんが「如来さまのお絵像」の印刷の手伝いをして下さいました。善福寺様では幼い坊ちゃん達が毎夕食手伝いをして運んでくれました。新住職は作曲もされ映画にとても詳しい方です。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」をみせていただき感動しました。主人公セルマ(ビョーク)は離婚・貧困・失明・冤罪投獄・死刑の辛い苦しい状況にあっても子供を愛し通す心をみごとに表現していました。人種や時代が異なっても母が我が子を愛する気持ちは同じで深いなぁとしみじみ感じました。映画が好きな方にお薦めします。
8日、早朝にもかかわらず檀家の皆さんにお見送りいただきました。佐世保に向かう高速艇の中で拙い法話を反省し、皆様のご親切を思い出しながら帰途につきました。
過分なるご厚情に心からお礼を申し上げます。
佐世保地区 金田 隆栄
22日 善隣寺 38名
「十二因縁」について
お釈迦様は世の中の仕組みを因縁因果という考えで、明確に説明した上で人の苦しみは因縁に依って生まれるのだと説かれた。弁栄聖者は、その根本の無明を炎王光・智慧光の光によって全てが解決して行くと示されたのであります。