一 信根とは如来の真理を聞きて如来の恩寵を被むる時は必ず自己は若しくは解脱、若くは救霊せらるることを信じて疑わず。如来は我親にて我は其子たりと信じて此信が基礎となり信の根底が確乎として、又此信を発達せんが為めに次に精進根となる。
二 精進根。即ち精進は信仰を増進せんが為めの勤勉である。例えば米に糠垢あれば、力めて搗く時は精白と為る如く、一心専精に不断に大光明者を念じて勇猛精進して、時々心々連絡し、念々専注して進む時は霊性益々発達す。
三 念根。弥々信念を専にする時は薫染身に功成じて、常に如来を恋念葵慕して忘るる事能わざるに至るを念根と云う。
四 定根。一心に如来を念じて、慈悲が其心念に薫染して久しければ、遂に自己の心が如来心と成り、如来の心自己の心となる如くに感じらるる。之を定根と云う。
五 慧根。是信念の根が益発達して、信心の喚起の期至りてわずかに如来の霊光に触れたる事を自覚して、其真理を身に実験し得て始めて霊の覚醒となり、朝夕の讃美礼拝亦知識の指導が心霊を養い、至心不断に念じ、信念内に増長して如来の恩寵の和気に催され、信仰の曙光を見、心霊の曄?となる。
現代語訳
一 信根とは、如来様の真理〔の教え〕を聞き、如来様の恩寵をいただき、必ず私は育まれ、また救われていくと信じて疑わない〔ようになる心の根のことをいうのです〕。如来様は私の〔心霊の〕親であり、私はその子供であると信じる。その信が基礎となって信仰の根底が確乎たるものとなります。またこの信を発達させるために、次に精進根の働きがあるのです。二 精進根。すなわち精進とは信仰を増進させる為の勤勉のことをいうのです。例えば米には糠があり、これを時間と労力をかけて搗くと、真っ白な精米ができるように、一心に集中して、絶え間なく大光明者〔である如来様〕を勇猛精進に〔念じます。そして〕、いついかなるときも、〔如来様の〕心と〔私の〕心が連絡し、念々ひたすらに如来様に心を注ぎ、〔そのお念仏の実践が〕進んでいくと霊性が益々発達していくのです。〔そのような精進を促す根を精進根というのです。〕
三 念根。より一層、信念を専らにし精進していくと、〔如来様の霊気が〕身に薫染し、ご利益を頂き、常に如来様を恋しく念い、またお目に掛かりたいとの思いが募り、忘れることができなくなります。そのような心境へと〔促す心の根を〕念根というのです。
四 定根。一心に如来様を念じますと、〔如来様の〕慈悲が心に薫染してきます。それを長期間頂いていくと、ついに自己の心が如来様の心となり、如来様の心が自己の心となっていくように感じられます。その〔心境へと促す心の根を〕定根というのです。
五 慧根。これ信念の根が益々発達して、信心喚起の心境に至り、わずかに如来様の霊光に触れた事を自覚して、その真理を体感することができて初めて、霊の覚醒となり〔如来様の心に従い活動していくのです。それを促す根を慧根というのです。〕朝夕の讃美や礼拝また仏道へと導く師匠や友人の指導が心霊を養い、至心不断に〔如来様を〕念じ、信念が大きく育っていくと、如来様の恩寵であるのどかな霊気に催され、信仰の曙光を拝み、心霊の曄?となるのです。
解説
これほど具体的に、信仰の進み・育みを教えて下さっていることは本当に有難いことです。このようにお育ていただき、また、出来る限りの「勤勉」(精進)をして参りましょう。※出典の両本には若干の文字の相異があり、文脈から妥当な方を採用しました。
①慧根―慧根によって育まれるものを「霊の覚醒」とここでは表現しているが、『山崎弁栄上人口述 念仏三十七道品御講演聴書』の慧根の説明に、「慧とは以上の如くして出来た身体が活動するように南無阿弥陀仏を念じておれば其の念仏の結果、如来と一致して如来の心を以て活動していくのを云うのである。」とある。よって覚醒し、如来さまの御心に従い活動していく力を促す根のこと。上記現代語訳にその内容を加筆した。
②曄?―『礼拝儀』の中にもこの表現があり、また『難思光無称光超日月光』一三四頁に「未だ旭日を見るに至らざるも東天すでに曄?をなす」とあるように、曄?とは、日の出前の明るく輝く様子をいう。前にある曙光が如来様の光であり、そしてこの曄?はそれを反射し輝く心の中の光をいう。
出典
『人生の帰趣』四三五頁、『難思光無称光超日月光』八十七頁掲載
機関誌ひかり第710号- 編集室より
- 行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
- 現代語訳の凡例
- 文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
- 付記
- タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」