光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.41 「病気の体験記」 その一

内藤 規利子 あちらこちらの方から病気の体験記を書くようにと発破を掛けられながら、気後れがして書けず3年以上。きりがないので覚悟を決めました。人生には三つの坂があると言います。上り坂に下り坂、そして「まさか」の坂。「まさ…

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光明主義と今を生きる女性 No.40 弁栄聖者の米粒名号

祢次金 文子 溝口幸吉様との出会い 昭和36年4月。丁度半世紀も昔のことです。 私は仕事で柏崎に行くことになりました。今でこそ、新幹線がありますが、当時は静岡から柏崎迄は片道八時間くらいかかったと思います。長い汽車の旅で…

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光明主義と今を生きる女性 No.39 東北の空に祈る─ 南三陸町・「摩梨阿観音」さま開眼式に参加して ─

植西 武子 去る1月の中旬頃、郵便ポストに大判の封書が届きました。差出人は龍飛水師、何だろうと思って開封すると、『東日本大震災その後』と言うタイトルの立派なパンフレットと龍師のお手紙が入っていました。それに目を通し、即座…

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光明主義と今を生きる女性 No.38 田中木叉上人の思い出

花岡 こう 昭和36年、主人の勤めの関係で、信州上諏訪から、東京八王子へ引っ越して参りました。その事を申し上げますと、田中木叉上人から「練馬の光明園で毎月例会がありますから都合がついたらいらっしゃい」と言うお葉書をいただ…

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光明主義と今を生きる女性 No.37 ご縁

上田 茉莉 光明会にご縁のあったある女性とその家族のお話でございます。 その女性は明治二十七年、山形県飽海郡平田村、現在の酒田市の大きな農家に生まれ、名をみよえと申しました。 みよえさんは兄二人弟二人の真ん中でとても活発…

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光明主義と今を生きる女性 No.36 ご縁の糸

植西 武子 晩秋の小春日和に恵まれた或る日、(平成24年11月30日)愛知県・知多半島の谷性寺(住職・矢野司空様)を訪ねました。「一行三昧の会」に日帰りで参加しようと、かねがね静岡の袮次金さんと約束していましたから・・・…

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光明主義と今を生きる女性 No.35 あれから三十年 命の不思議(2)

袮次金 文子 不思議な体験 確かに現代医学の力で命を助けて頂きましたが、私の心の中にはそれだけでは納得の出来ないものがありました。うまく説明できませんが、第一Aさんとの出会いがなければ病院に行くことも勿論手術もありません…

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光明主義と今を生きる女性 No.34 あれから三十年 命の不思議(1)

袮次金 文子 私は子供の頃、「先天性心臓病で手術はできません。」と言われてきました。家族や周りの人たちからも「病弱な子」と言うレッテルを貼られましたが、本人は至って元気で日常の生活に支障は無く暮らすことができました。それ…

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光明主義と今を生きる女性 No.33 出会い

山本 サチ子 故郷の福島から上京し、大学の寮に入寮するため私は姉と買い物の準備で大わらわでした。布団や整理ダンズ等を購入して夕方に姉は自宅に帰りました。一人になり少し荷物の整理をしていました。しばらくしたら学生課長と名告…

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光明主義と今を生きる女性 No.32 東南アジア旅行記 「ベトナム・カンボジアを訪れて」 (2)

※前回はこちら 山本 サチ子 二国を訪問の感想 ベトナム・カンボジアの二ヶ国は共に貧困さが目立ち辛い気持ちにさせられました。こえら二国は共に互いに他国からの植民地として支配され苦しんできた国であります。現代に至っても貧困…

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