光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.48 私の光明生活 其の三

田代 悦子 平成20年の10月・11月号に一度掲載させて頂きましたので、今回その続きとして書かせて頂きました。 新しい年を迎えて 平成26年も恙なく迎える事が出来ました。日頃、2人暮らしの我が家に、2日から長男一家、3日…

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光明主義と今を生きる女性 No.47 ふたたび「宝の山」を訪ねて

植西 武子 この日(平成25年12月5日)は真っ青な空に、取り残された紅葉がきれいに映える小春日和でした。空高く一羽のとんびが大きな円を描いていました。 関東支部の「女性の会」の4名(田代悦子様、佐藤蓮洋尼、森井明攝尼、…

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光明主義と今を生きる女性 No.46 お導きを頂いて

下司 仁美 思えば、中学生の時、三隅栄俊上人の郷里、山口県の宇部で三隅栄俊上人、河波定昌上首(当時九大生)より光明主義のご縁を頂き、高校3年生の時、奈良郡山の草可様の所で藤堂御法主の如法別時に就かせて頂き、私の人生観は1…

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光明主義と今を生きる女性 No.45 法友との別れ

祢次金 文子 突然の旅立ち 昔から「遅れ先立つ世のならい」と言われていますが、この10月26日に訃報が届きました。山内ふじ子様がお浄土に旅立たれたとの知らせです。 長い間、服飾デザイナーとして活躍され、明るく華やかな彼女…

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光明主義と今を生きる女性 No.44 母への感謝

森井 明攝 カッチ と割笏の音。ザワザワと微かな物音がする。水の音、話し声、今から集まり本堂に入るのです。今日から別時が始まるのです。そして10歳頃の私の別時の思い出のスタートでもあります。 まだ小さい私は、本堂に入るこ…

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光明主義と今を生きる女性 No.43 家族と共に

安宅川 桂子 私が初めて光明会のお別時に参加させて頂いたのは、30数年前、長男がお腹に居た高野山別時でした。和歌山県田辺市の龍泉寺藤堂俊章上人の導師で仏前結婚式を挙げてから半年後のこと、義母に連れられ、住み込みのお針子さ…

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光明主義と今を生きる女性 No.42 「病気の体験記」その二

※前号はこちら 内藤 規利子 24時間点滴につながれること15日。どこへ行くにしてもガラガラと点滴の相棒と仲良く一緒。このくらい仏様と離れないでいられるといいのに……。 廊下を歩いていると「お元気そうですがどこか悪いんで…

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光明主義と今を生きる女性 No.41 「病気の体験記」 その一

内藤 規利子 あちらこちらの方から病気の体験記を書くようにと発破を掛けられながら、気後れがして書けず3年以上。きりがないので覚悟を決めました。人生には三つの坂があると言います。上り坂に下り坂、そして「まさか」の坂。「まさ…

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光明主義と今を生きる女性 No.40 弁栄聖者の米粒名号

祢次金 文子 溝口幸吉様との出会い 昭和36年4月。丁度半世紀も昔のことです。 私は仕事で柏崎に行くことになりました。今でこそ、新幹線がありますが、当時は静岡から柏崎迄は片道八時間くらいかかったと思います。長い汽車の旅で…

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光明主義と今を生きる女性 No.39 東北の空に祈る─ 南三陸町・「摩梨阿観音」さま開眼式に参加して ─

植西 武子 去る1月の中旬頃、郵便ポストに大判の封書が届きました。差出人は龍飛水師、何だろうと思って開封すると、『東日本大震災その後』と言うタイトルの立派なパンフレットと龍師のお手紙が入っていました。それに目を通し、即座…

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