光明の生活を伝えつなごう

発熱の文

発熱の文 64 霊の恋愛

 衆生と如来とは同一法身を体とするが故に、理性に於ては一致すべき理あるも、内容実質に於ては、如来の聖霊的純潔なると、衆生の内容の煩悩罪悪なるといかにして親愛相和することを得べきぞ、との疑問起らん。然れども、この反対せる異…

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発熱の文 63 宗教革命の準備

 此程、風邪に侵され、おしてやった為に大にいためられ候。されども時間をさまたげられぬは、これも大ミオヤの思召と存候て深く感謝する事に候。実におもえば、いつ何時に御引上の命令を賜わるかと存候えば、此捨果つる身体を何程たりと…

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発熱の文 62 主人公を主我から本尊に

 吾人、自己の心中に、帰命信頼すべき本尊いまだ安置せざるむかしをしのぶ時は、まことに自ら恥じ自ら恐る。むかしの生れしままの我心情のあさましさよ。面にこそあらわれね、いかり、憎、嫉、慢、貪などのすべての罪悪の要素として心裏…

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発熱の文 61 光明家庭の心得

光明家庭の意得 一、父母は慈悲と正義の観音勢至にて、実行の範を以て子女を光明に指導すべき事。 一、各自は闇黒の気質を淘汰し、光明の本心に基き平和たるべき事。 一、忿恨等を発し、衝突を為すは、光明を失う故なりと覚知すべき事…

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発熱の文 60 四種の光明

 世の人々を見るに、受がたき人身、遇がたき仏法にあうとも、仏の光明を仰ぐに由なく、闇きよりくらきに入りぬひとびとのあわれさよ。  仰ぐべきかな如来の光。我々は五塵六欲のちりの繁き中に六根常に心を汚しつつあり。若し如来清浄…

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発熱の文 59 道徳の根底

 今やわが国家、国民の体・知・徳の三育について大いに注意を払い、力を注ぐに至りては大いに喜ぶべきことにて、中について最も善良の国民を造るは、いまだ根底を確定せず。わが国民が、人生はいずれに向かって、何の帰着点を定めて、国…

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発熱の文 58 年頭法語

大なるミオヤは十劫正覚の暁より、可愛き子を待ち詫び玉うとは、仮に邇きを示せしものの、実には久遠劫の往昔より今時の今日に至るまで、可憐き子の面の見たさ、また子を思う親の心の知らせたさに、番々出世の仏たちを御使しなされて、苦…

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発熱の文 57 聖き光

 この光明によりて自己の精神を霊化するにあらざれば、人生の真の幸福は得らるるはづなかるべし。  人の苦と感ずるも楽と観ずるも帰する処は其人々の精神にあり。他人より観れば、彼はいかに苦しからんとおもうも、其人は内心平和に満…

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発熱の文 56 航海の譬え

 吾聖きによる友なる湯地夫人照子きみよ、この人生は数十年間の航海中にてあれば、まことに日和よき日に甲板の上に共に談笑し遊戯し運動し舞踊し、歓楽のなかに船の上なるを打ち忘れて過る日もあれば、忽ちにうってかわりて天候が変じて…

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発熱の文 55 遠大なる望み

 理想のぼさつとして生活せるもの、遠大なるのぞみなしに日をくらすベからず。望みなしにあるものは、すでに心霊死したるものなり。いかなる望みかこれなる。聖国の世つぎたらんことなり。聖国の世つぎとならんには、その資格を備えざる…

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