光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.61 我が家の三毛猫

山本 サチ子 私の生まれ故郷は福島県の会津磐梯山がそびえ立つ猪苗代湖のすぐ近くにあります。風景のとても良い場所です。当時、私はまだ中学生でした。兄弟は姉が四人、兄が三人の8人兄弟でした。大勢いた兄弟も皆東京や神奈川の方に…

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光明主義と今を生きる女性 No.60 先人の足跡を辿って ─ セピア色の写真が語る鉢伏山念仏道場の今昔 ─

花岡 こう 古びた一葉の写真を見る時、私の心は一寸痛みます。この写真(右)は鉢伏山の「紫山荘」が老朽化で閉鎖されてから十年後に長男が撮ってきたものです。 この念仏道場の入り口の近くに頌徳碑があり、この碑には八十二代増上寺…

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光明主義と今を生きる女性 No.59 再びお念仏のご縁をいただいて ─ 心に響いたりんご狩り念仏会 ─

芥川 真理子 一年前、母、岩田英子が亡くなり、河波定昌上首がお通夜にいらして下さったご縁で、また、光明園のお念仏会に通わせて頂くことになりました。 久しぶりに道場で如来様のご絵像の前に座ると涙がとめどなく溢れ、「また、戻…

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光明主義と今を生きる女性 No.58 先人の足跡を辿って ─ 足利千枝先生と婦人部の活動 ─

植西 武子 弁栄聖者百回忌を数年後に控え、今、婦人部の結成が求められています。九州支部では既に発会式が行われ、活動が始まっているようです。各支部もそれに続くべく模索している状況かと思います。 聖者は嘗て、女性の活動の重要…

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光明主義と今を生きる女性 No.57 奇(く)しきご縁に巡り会い─吾子(あこ)に導かれて─

村松 浄光 私は現在は長野県(長野市)に居住していますが、以前はずっと神奈川県に住んでおりました。若い頃はタイピストとして働き、結婚して一男一女の母となり、平穏に暮らしておりました。ところが、その後、私の人生は思わぬ方向…

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光明主義と今を生きる女性 No.56 ありがたきお念仏のご縁に恵まれて ─田中木叉上人との出会い─

伊藤 よし子 私の祖父母である伊藤元衛、きくよは嘗て、長野県の普門寺村に住んでおりました。今も諏訪市にこの地名が残っております。この祖父母は非常に信仰心が厚く、特に弁栄聖者のみ教えに深く帰依しておりました。真剣にお念仏す…

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光明主義と今を生きる女性 No.55 ずっこけ骨折体験記

内藤 規利子 2月の終わり頃、娘が習い始めた『クレイクラフト』の生徒の作品発表会があるという。「お母さんが見てこういうのがいいと言えばそれを作ってあげるから見に行かない?」と誘われ楽しみにしていました。「駐車場の都合があ…

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光明主義と今を生きる女性 No.54 三つ子の魂・・・お念仏のご縁に感謝して

佐藤 蓮洋 先月号のひかり誌に植西さんが「関東支部主催 親子別時」を丁寧にまとめてくださいました。 私は始めての参加、しかもスタッフの一員としてお手伝いさせていただきました。このお別時でいろいろな方とお会いさせていただき…

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光明主義と今を生きる女性 No.53 颯田本真尼を巡る旅(四)

菅野 眞慧 本真尼縁のお寺は、愛知県西尾市の徳雲寺と、もう一つ、神奈川県藤沢市鵠沼にその名も、本真寺というお寺があります。 本真尼59歳の時、細川侯爵夫人糸子氏が、関東の布教の拠点となる様、本真尼に土地を寄進され、「慈教…

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光明主義と今を生きる女性 No.52 颯田本真尼を巡る旅(三)

菅野 眞慧 馬渡島の100年法要後、全国に本真尼の足跡を辿ってみようと決めた私は、本真尼の存在を教えてくださった坂上先生に連絡を取りました。翌月に三河教区で、浄土宗教学院の公開講座が開催され、「颯田本真尼の布施行」と題し…

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