光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.60 先人の足跡を辿って ─ セピア色の写真が語る鉢伏山念仏道場の今昔 ─

花岡 こう

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古びた一葉の写真を見る時、私の心は一寸痛みます。この写真(右)は鉢伏山の「紫山荘」が老朽化で閉鎖されてから十年後に長男が撮ってきたものです。

この念仏道場の入り口の近くに頌徳碑があり、この碑には八十二代増上寺法主椎尾弁匡台下と藤本浄本上人の名前が並んで刻まれております。その奥に小さく見えるのは「紫山荘念仏道場」を建てるため奔走して下さった地元の篤信家、多田助一郎氏の石碑です。

私共親子が最初に参りました時は始まったばかりでまだ電気が無く、夕暮れになるとランプがつき、連れて行った子ども達はとても珍しいので喜びました。

その後、間もなく電気がつく様になりました。

「紫山荘」を少し下って行った処に小さな食堂があり、食事の時は、くがい草や柳欄が咲き乱れる道なき道を行道しながら歩きました。その食堂の入り口の脇に自家発電所ができたのです。これは後ほどわかったことですが、椎尾弁匡台下がご寄付下さったものと知りました。その頃、台下は御目が不自由でいらっしゃったのに、お山に登られ、鉢伏山の素晴らしい様子が空気でおわかりになっておられたとのことです。残念なことに、何年か後に食堂が火災となり、その折、このたいせつな自家発電所も焼けてしまいました。

光明修養会上首、藤本浄本上人はご高齢にも拘わらず、登るだけでも大変な2000メートル近いこの山へ、ご遠方から導師としてご参加下さいました。10年近い年月を奥様を伴っておいで下さいました。

こんなこともありました。早くお越し下さって、鉢伏山のお花畑をゆっくりお歩きになりました。風は涼しいけれど強い紫外線でしたので「頭に軽い火傷をしてしまいました。」とお笑いになったことなど懐かしく思い出します。

昔のことですが藤本上人のご法話で記憶に残っておりますのは、松本城主の菩提寺、「玄向寺」様の門外不出の寺宝、「当麻曼荼羅」を多田氏の信用で借り受け、鉢伏山まで運んで頂き、そのお話を連日、講義頂いたことです。その頃は親子別時は6日間でした。(手元の記録によれば、昭和41年は7月31日から8月5日まででした。)

また、子供達にはいつもにこにことやさしいお話をして下さいました。特に地獄のお話はとても迫力がありました。

当時、門外不出の寺宝を運ぶには道路が整備されていないと出来ないことでした。

はじめはバスは松本駅から高ボッチまでしか動いていませんでした。高ボッチから鉢伏山までが大変です。

これは名古屋の内藤規利子様(元松本光明会所属)からお聞きしましたが、その頃、多田助一郎氏を中心に道普請のために松本光明会の方達が出て、手伝われたそうです。

内藤さんのご両親もご奉仕下さったそうです。そのお陰でバスが鉢伏山まで通ることになりました。

また、「紫山荘」を建てる時もこの山の権利を数ヶ町村で持っており、一ヶ町村が反対しても建てられない状況でした。それが多田氏の信用ですぐ賛同を得られたそうです。

火災で一時中止になっていた「鉢伏山親子別時」もすぐ再開し、それからは八木季生上人(現・増上寺八十八世台下)が御導師として19年に亘り、熱心にご指導下さいました。なお、八木上人は鉢伏山親子別時の第2回目より平成7年の最終回を迎えるまで、都合30年に亘りご尽力下さいました。(註:その後、鉢伏山道場が閉鎖され、数年後の平成13年に親子別時は山中湖で再開されて4年間、更に平成17年に相模原に移転して4年間の計8年に亘り、八木上人は親子別時のご指導下をして下さいました。)

八木上人の子供向け法話で印象深いのは芥川龍之介の『蜘蛛の糸』です。
「お釈迦様がゆっくりと池の端をお歩きになっておられました。」と上人自身もゆっくり歩きながらお話しなさると、まるでお釈迦様がお歩きになっておられるようで、子供達も大人達も引き込まれました。
夜になると、この石碑の前で集まって花火をあげたり、歌ったりして楽しみました。
山の上の空気は冴えて美しく手を伸ばせば届くほど星が近く見えました。
打ち上げ花火が昇っていくとそれが空に止まって星になるかと思われました。 朝にはここでラジオ体操をしました。間違えながらも楽しく……
ぐるりと首を回すとアルプスの峰峰が連なり、目の前には朝日に輝く柳欄が群生し、後ろのゆるい谷では鶯が鳴き交わしていました。

一葉の写真を見ながら、今思うのです。子供達の賑やかな声に囲まれていた石碑が誰も居ない夏草の中で、嵐の中で、雪の中でぽつねんと佇んでいるのだろうかと。…… 私は元気なうちに、是非もう一度ここを訪ねたいと心から願っています。

鉢伏山の現状は確かに淋しい状況ですが、椎尾弁匡台下、藤本浄本上人、八木季生台下、また、多田助一郎氏のご尽力で始められ、続けて来られた親子別時の「お念仏の心」は会所が変わっても、次世代にしっかりと受け継がれ、連綿と今日まで続けて来られた事は何よりありがたいことだと思っています。

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