光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.65 熊野好月先生を偲んで

遠藤 由起

松本駅で昼食を撮り、うだるような暑さの中、母と兄と三人でボンネットバスに乗り込みました。「山は涼しいからね。」の言葉を楽しみに、小学二年生の私は初めて鉢伏山に向かいました。

なだらかなお椀を伏せたような山が見えた時は胸がときめきました。からりと晴れ、涼しい風の中、紫山荘への山道を色とりどりの高山植物をかきわけながら一気に駆け上がりました。紫山荘のガラス戸を開けると長い廊下が続き、左側の道場の正面に如来様のお絵像を背に、小さなおばあ様が座っておられました。おばあ様の手招きに駆け寄ると、私を膝の上に抱き上げ、「よう来ましたね、良い子だ良い子だ」と、何度も頭を撫でて下さいました。これが熊野好月先生との初めての出会いでした。

子供心に「観音様の目に似ているやさしいおばあ様だ」と思いました。

その後は、八木上人にご指導頂き、ほぼ毎年親子別時に参加させて頂きました。

好月先生からは、何通ものお手紙を頂き、中学三年の時に「大阪で青年別時があるからいらっしゃい」と、お誘いを頂きました。八王子から大阪の茨木までの初めての一人旅です。 「いつも如来様はあなたの傍にいてくださいますよ」好月先生の言葉に何の不安もなく伺うことが出来ました。その後、少年別時のリーダーとして、五年ほどお手伝いさせて頂きました。

好月先生は、進路に悩んだ時など、「杉田上人についてお念仏していらしゃい。如来様のお心を感じたら分かりますよ」と、後押しをして下さいました。

この言葉は私の人生の大きな宝となりました。迷ったり不安に思った時は、如来様を思い拙い念仏を唱える。あとは如来様の御心におまかせする。不思議なほどそういう時、その後の人生の方向を導いて下さる人々との出会いを頂きました。

先日、弁栄聖者が創建された光明学園での親子別時に就かせて頂きました。導師の山上上人より、青年を教化せんとて御身の筆墨により絞り出されし血と脂の結晶とも言うべき貴き財を投じて建立された学園であるとのお話を伺いました。

好月先生の御著の『さえられぬ光に遇いて』の中に原当麻で一ヶ月ほど弁栄聖者に随行された時の事が書かれておりました。また、その際、開催されたお受戒で、聖者より戒名を「好月」とつけて頂いたことも、書かれておりました。

その地で親子別時に参加できる事は何と恵まれたことでしょう。更にその著に「真にみ親を信ずれば一切衆生は兄弟である。お互いに思い合うようになる。すれば如来様は新しい心と入れ替えて下さる。一心に念仏し、み親にすがりさえすれば戒はおのずと我がものとなるのである」とありましたが、このような心の平安が訪れたらどんなにか良いだろうと思い悩んでいたところ、山上上人が自らコントロールしても感情を抑えただけである。本質を変化させるには如来様におすがりし、光明を頂くしかないと話して下さいました。

好月先生のやさしい微笑みを思い浮かべながら、親子別時に参加させて頂いた私には何よりのお話を頂戴できました。

母のお腹の中から念仏のご縁を頂き、我が子には妊娠六ヶ月の頃に東京の河野恒雄様、群馬の石田義信様のお勧めで、唐沢山別時に就かせて頂き、東京の一行院様で八木上人より三帰を授けて頂きました。

聖者は『世に偶然だの奇跡だという言葉があるが、それは凡夫の思うことで、眼の開けた人には偶然はない』とありますが、こんな私のような者でも如来様はたくさんの縁を結んで下さいました。何とありがたいことでしょう。

好月先生の思い出を書くようにとおっしゃって下さった植西先生のお陰で、好月先生を偲び、お上人方、足利先生、中牧先生、光明学園の先生方などのご縁を改めて心に刻むことができました。人の出会いの何と素晴らしいこと。

遅ればせではありますが、念仏をなさる皆様に導いて頂き、これからも精進したいと思います。好月先生の膝の暖かさを今も忘れることができません。

  • おしらせ

  • 更新履歴

  •