光明の生活を伝えつなごう

光明主義と今を生きる女性

光明主義と今を生きる女性 No.32 東南アジア旅行記 「ベトナム・カンボジアを訪れて」 (2)

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山本 サチ子

二国を訪問の感想

ベトナム・カンボジアの二ヶ国は共に貧困さが目立ち辛い気持ちにさせられました。こえら二国は共に互いに他国からの植民地として支配され苦しんできた国であります。現代に至っても貧困とのたたきが今なお続いています。両国共に治安が悪くて子供や女子はさらわれて売られてしまうこともあります。そのため、親は子供を守る為に登下校を送迎しなければなりません。1日に何度も送迎しなければなりません。それに加えて暑さのために何度も休憩時間があり多い日は1日4回も送迎しなければならず大変な仕事だといいます。このような国に対し、仏教国の人間として私達のできることはどのような行為なのでしょうか。私の勤務していた淑徳大学では「カンボジアの子供達に学校教育」をさせたいと毎年、義捐金を送っていました。しかし私はこのことをもっと軽い気持ちで受け止めて寄付していました。今、こうして現地を訪ねて初めてことの重大さを認識しました。

アンコールワットで私に「絵葉書1ドルです」「手作りの象や金魚の竹細工も1ドルです。買ってください」。たどたどしい日本語で話しかけてきたあの「裸足の少女」はまたあそこで早朝に観光客を相手に土産を売っているのでしょうか?あのシーンを思い出すたび胸が痛みます。

昨日、私が近くに住んでいる娘の家を訪ねた時のことです。5歳と3歳の孫娘が「七夕飾りを飾ったから見て綺麗でしょう」と笹竹の前に私の手を引いていきました。そこには他の飾りと共にあのカンボジアの少女から買った絵葉書や手作りの象や金魚の竹細工が笹竹に飾られていたのです。「これね、この間お土産に買ってもらったの」といいます。このことばで私は何だかほっとしました。同時にあのカンボジアの子供達も幸せにしてあげたいと強く思いました。

仏教国の人間として私達が取り組まなければならないことは何なのか。ひとつは「東日本大震災」そして「アジアの貧困に苦しむ子供達」にどうやったら手をさしのべることが出来るのかを会員の皆さんに力を貸していただき共に考えていきたいと考えています。議論だけなら誰でもできる。その結果、微力でも私たちに何かできることを早急に実行したいと思います。皆様、どうぞご意見と実践をおねがいしたいと思います。弁栄聖者の御教えに忠実に生きていく私達ならばできると思います。以前にも書きましたが東日本大震災の支援とし会員の関東地区の炭屋さんが東北に出向き大きな援助をしてくださいました。私達もまた何かできるのではないかと思います。

世のため、人のためアナタの光栄を顕すべき働きをなし得るように力を尽くしていきたいと考えています。皆様と共に歩んでいきたく思います。

合掌

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